分業
ねぶいっすが勢いで起きちゃったので更新するっす。こんな時こそ数学したいが、本を寝室(のどこか)に置いてあったため取りに行けねー
こないだ借りた本では、重度の障害者の人でも、時間はかかるかも(効率は悪いけど)、作業をかませて、仕事にするっぽくも。
世の中分業体制っす。
たりないものを補い合うのが集団っすよね(と美しく)。
どういうとき困るかと言うと、まずクレイマーチックに、実現しようのないことで詰められるとか前向きじゃないので困るというか、自分の思うところと違って自分が損害喰らうときが悲しい。フリーライダーとかも。
そういうとき距離を取りたいが、取れないのが人の常ってなもんで(どーなんでしょ)「喜んで」付き合うか「いやいや」付き合うか。
自分が喜ぶ対価として、嫌なことをどれだけ我慢できるか、嫌なことを受け流せるか。
なんか働くってことにこけてしまった。シビアな世間からの評価ですからな。
自分の好きなことを仕事にして、つらいことも我慢するか、嫌いでないことを仕事にするかって、夫婦の事でもあるし、生き方の事でもある。
他人から見たら、自分の「役に立つ」部分がクローズアップされて、自分の「役に立たない」部分を世間とどう擦り合わせるか。
存在するけど存在しないもの、相手にとって価値がなければ、交換条件にはなり得ない。
江川達也が、人が喜ぶ者を書いて、オチだけは好き勝手する気味に書いていたような、というか、西原恵理子っぽく役に立たない部分を役に立つように加工できるのが、生きていくうえで、ってできない人はできないんだけどと言うか、眠いとふくらまねーな。
世間に屈しない生き方はカッコがよかとーで、どれだけ高く売りつけることができるのかの試行錯誤が人生としたもんですかにゃ。
解決する瞬間なんてないし、死ぬまでの時間つぶしにはなるっしょ。
ま、出来ない不条理と一緒に生きていくしかないっす。
それに耐えきれるか、新興宗教にこけるかは、なぜ私が新興宗教にこけないか、自信を持ってこれからもと言えることではない。
「救い」って何なんだろう。
私にとっては確信があること、疑うことをやめること、かなー自省心を手放す場所が欲しい。相手のことを考えないで、自分を曲解しないと信じて話す場所が欲しい(って家庭にあるけどだから宗教にこけないのか)
休む場所が欲しい。キャバクラか(行ったことないけど)
ケイクスであった星新一の女性のイメージって、引っかかっているんだけど。抱擁してくれる人っぽく。
ここではないどこか、と同値になってしまうんだろうけど、フィクションで夢見るぐらいは赦してよ♪
今いる場所が絶対でないってどんなことだろう?で、「理想に住む」なんだけど。
いつか、解決すると確信があったら、試行錯誤も楽しめる。
今が絶対と思う、逃げ場所がないとつらい。
変わるという確信は、人間に対する信頼になるだろうか。