価値

ブレストタグと言うか、何となーく、だらだらしたい気分ポエムっす。中二病ってどうしてこんなに楽しいのか(♪


大辞林で「価値」を引くと

1物が持っている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。値打ち。有用性。

2(哲)善きもの・望ましいものとして認め、その実現を期待するもの。内在的なもの・手段的なものなどにわかれるが、特に、真・善・美など、普遍的妥当性を持った理想的・絶対的価値をいう。

3(経)商品の価値の背後にあって、それを規定しているもの。その本質・源泉のとらえ方によって客観価値説(労働価値説)と主観価値説(効用価値説)とが対立する。

私が引っ掛かるのは、主観と客観の差異に近いだろうか(←わかってない)

やりたいこと、出来ること、求められること、がずれることか。

と言うか、他人の育児日記を見ることほどつまらないものはないってペトロニウスさんが言っていた件か。

育児日記が楽しいその子、ってどんなことか。

集団を選択することと、選択できない、変えることのできない私自身の個性。

選択できないことと、属性を問わないこと、はなんだか繋がる気がして

の続きにこけるか。

私の属性はいろいろある。

けど、それは人との比較によって決まるというか、人が評価することは価値のあることで、私自身は、他人から見て価値のある部分と無用の部分の合わせ技である。

価値のある部分、で世の中を渡って行って、お金を頂戴するわけっす。

でも、今まで価値のあったものがずっと価値を維持するわけでなく、流行おくれと言うか、スマホ時代にピッチは廃れる。

今までにはない新しい価値を生み出す、「新しい」には、試行錯誤が必要で、今まで見たことのない、今まで価値のなかった幅が必要で、自分の無用さが必要とされる時が来るのか、無用さをプールすることは必要だ。

私自身にとって無用さも有用さになる。

他人から見て、無用さも愛おしいと思える関係、(育児日記っす)役に立たない部分も認めてくれるってのは、入れ替え不可能性かなー

新興宗教は、役に立たない自分を認めてくれるので、自分の役に立つものを提供させるっぽくも思う偏見なのだが

(背後が起きたので)