実存主義者になれないっス

凡庸な悪について、ちゃんと語句の定義の本を見たら、もうちょいなんか広がりそうっすが

アーレントの本もお財布にいた―いと思いつつ、1冊買った覚えはあるのだがっと(たぶん読まない)


サルトルの滑稽さというか、滑稽でも自分のいいと思うことを追及する実存主義者というか、

私は射程の長い真理を追い求めてしまうので、いまいち実存主義者と言えないような。

ペトロニウスさんがココロコネクトの主人公がみんなにいい顔したがる、自信がないというようなことを言っていたような、

真理の追究は、みんなに責められたくないということはあるのだろうか。

愛されるおじさんになる、物分かりのいいおじさんになる願望が捨てきれないか、自分?

いや、私は自分の正義を信じない。みんなの意見は案外正しいと思う。

社会人をやっていて、入社したての頃、仕事に憤る同期もいたが、新しい視点ももたらさなかった自分でした。

finalventさんのcakes隆慶一郎の、を読んで、腑に落ちないところもあるし、全部理解できたと思えるのはいつの日か、



現代の処世―飽食時代の菜根譚 (講談社ビジネス)

現代の処世―飽食時代の菜根譚 (講談社ビジネス)

「信念の人」と言うのは一歩誤ると「狂信の人」となり、決して「冷眼」すなわち「冷静な目」を持ちえなくなるからなっぽいの、

自分の考えを持ちつつ、間違っている可能性も同時に置く実存主義の(屁)理屈、を考えたいっす。

真理を自分の納得できる範囲に置きつつ、理解できないことにも従う意思を持つ、矛盾しない論理とは。

自分の限界を踏まえて、そこをはみ出しつつ、そこに収まるのか収まらないのか。

どっちを取るか迫られて、うーん、分からないものとどう接するかとも近接するかと言えば、疑似科学問題の解決方法か。

勉強し続けることしか解決がない。

人生のある時点の真理にどこまでチップを重ねるか。

取り返しのつかないこととは?取り返しのつかないことのない人生とは?

一応、私のテーマとして、橋本治の「日本人は考えることだけはしない」?があって、リスクの適切な評価が考えることかとは思っているけど、じゃ、適切なリスクの評価とは、未来が判断できるわけでなし。