良く生きる

秋津「このまま仕事していーんやろうか?(転職しなくていいんだろうか)顧客減ることが分かりきっている」

母「お父さんも結婚するとき、退職金ないことを前提にって言っていたよ(銀行)。それでも私が外に出て働くから問題ないって答えた」

先のことを正しく評価するのは難しいっすけど、なんというか「覚悟」の問題で、先に起こることは分からないけどの時、より良い生き方の指針を探しているのであろうか、自分?

私は病気が再発して、世の中を恨むようになることを恐れているんだが、けど、案外と適応なんかもしてしまうのか知れないと思った、毎日、日記を書くネタがあって楽しい。

決して終わらない日常じゃないんだよね。

不条理に襲われたときは襲われた時で、平時からもしもを考えてもしょうがない一方で備えは備えて、それ以上はなってみないと分からない。

結婚する前は、歯磨き粉の絞り方でケンカすると聞いていたが、うちの家庭はそういうのは些末なことで流してケンカにならなかったし、話に聞いていても、自分が実際なってみると違うことはあって、

他人の話を鵜呑みにするのも危険で、自分の考えを他人に押し付けるつもりもないが、

不条理に襲われても平常心を保つには、を探しているような気がする。

考え付かないから不条理であって、考え付くのは不条理でない気がする、でも、どうも、なんかしら、ありそうな気がして、希望を持たなければ、落ち込むこともないんだが、希望を持ちつつ、打ちのめされないってあるんだろうか?

「狂信」に陥らない「信念」、、、少し違う気もする。

現実を認めつつ、腐らないこと、「希望」ってなんだろ?どこにも行けないと希望が無くなるのか。

変化を望んで、試行錯誤するのが楽しい私で、変化がないのは辛い。

で、打ちのめされていない私、転職をしない私は、変化が楽しいので、たぶん、あっという間に10年以上が過ぎたってのはあって、変化が起こらないってどんなことなんだろう?

年は取る。限りある生を自覚したら、日常が終わらないことなんてない、と宇野さんが言っていたっけな?

生きる意味は生きる拘りと言い換えてもいいんじゃないかと私は思ったが、拘りがあると、目標があると、現実との齟齬が出来て、変えていく試行錯誤が楽しくなるのではないか、と仮説を立てている。

というか、人の反応を予測して、まるっきり毎回同じ反応が返ってくるという想像力にかけているな私は。

人の反応は予測できない。だから私の願望に沿うように投げる言葉を変えていくのは刺激的だ。

と、私は自分が思う妥当な線と、他人が示す妥当な線のずれがないのでストレスがないと書いていたが、どうも、自分、思ったより口が立っていたのではないかと思い直した最近。

コンサルなんてやっていると年に何回か支店長を呼べクラスに揉めるのだが、私は該当したことがないというか、プラスもない代わりにマイナスもないのであるかだが、

こないだ感情的に反論されたので、あああッとそれならこっちの言葉を持ってきますかであっさりおさめたというか、感情的になられるのも珍しいので覚えていたのだが、

最初の目標が低いので、目立った成果をあげられないが、目標通りと言えば目標通りのところに持って行っているのでストレスがないのはとふと思ったりしたのであった。

中堅どころはそれじゃあかんけどなー

あれ、ずれた。

変化を起こせない状況が想像できないな、自分、と、考えが止まってしまったのであった。

で、金持ったらアノミーになるというのも少しわかった気がしたというか、手札が増えて、どれを切ったらどの効果が出るか、限りある金に対して、目標(自分のイメージ)に対する効果的な金の使い方が分からないので不安になったりするんだろうかとふと思ったのであった。