否定と居場所

毎日2時間お勉強を課すとブログ更新できなくなるのはガチです。家庭を持つと休日のほうが忙しーんですようもある。

私は入社するのも遅かったし、あと4年、仕事に未練はあるかもだけど、それを過ぎたら、それなりに流したい。

―いや、家を出てから帰るまで15時間です、で済んだらラッキーと言うもんな現状(人減らしすぎ、仕事も減らせ)はあるけんど。

働き方改革ーうちにまで来ないだろうなー

っていうか、次に現場に出るときは、仕事減らすからな、優先順位をつけるっではあるけど、要請活動って削るわけにもいかず、結局グッチャグッチャだろうなー目に見えるぜ、いつか破綻する道が〜

いじめにはいろんな考えがあるから、私の考えだけが正しいとは思わないが、いじめられるとき一番つらいのは、疑心暗鬼に捕らわれた孤独だ。誰も信じられない。好きだった人も信頼していたはず人も結果的にかもしれないが、うっすらいじめに荷担している状況である。本人は死にたくなるような孤独で絶望的な状況だ。

たった一人でいい。「お前が虐められているのおかしいよ。いじめている、みんなおかしいよ」というのを、正義になんかにまとめないで、いじめの渦中の本人に愛情といっしょにきちんと伝えるなら、いじめなんてそんなつらいものではない。雨の通りを歩いていたら雹が降ってきて、当たって痛いなあというくらいものだ。

https://note.mu/finalvent/n/n43a2969a0f35?magazine_key=m95210ca03306

えーと秋津くん、最近、リアルで想像通りに行かんかったというか、程度は軽いんすけど、自分が否定されてしまって、アイデンティティに傷がって、ついでに夢でうなされてました、2日間。

あんまりないんすけどね、というか、あんまりこの手のアイデンティティ系統の悩みは自分ないけど、ないわけじゃなかったと直面してしまいました。

この映画のいちばんのポイントなのは、「自分はいったい何者なんだろう?」って、誰からも肯定されない、否定されてきている主人公が悩んでいる時に、ある人が彼にこう言うシーンがあるんですね。「自分が何か? 自分は何になるのか? は自分で決めるんだ。絶対に他の誰かに決めさせるな!」って言うんですよ。

赤江珠緒)ああー、うん。

町山智浩)それがすごく大きいテーマで。これって『ズートピア』と同じテーマなんですね。


町山智浩 映画『ムーンライト』を語る

http://miyearnzzlabo.com/archives/41605

物語三昧のところかの孫引きです。ペトロニウスさんは「物語性は、「自分の居場所を見つける」というとても普遍的哲学的なもので、抽象度が高い問いなので」とも解題していました。

私は家庭の居心地が良いので(現在進行系)、家の外で否定されても凹みにくいんです。

最近、児童虐待のヤフーニュースとかよく見ているんすけど、やっぱり家庭って大きいかな、と思いつつあります。

今までは当たり前にありすぎて、親のことをぶーたれる人なんて、あんまり親のせいにするのはどうよと思っていたんですけど。

で、私のお題、病気で社会に居場所がなくなった時、どうやって心を安らかにするか?居場所を見つけるか、です。

本に逃げ込むのもありと思ってます。

自分が否定されることもなし、著者の意見が違っても、自分を否定してくることはありません。

へーオメーはそう考えたのかーで、意見の否定は有っても人格の否定はない。

自分が傷つかない安全圏から、色んな意見の人の話を聞くって楽しい、(と背後で今日のブログの書出しを見て最近のいじめられっ子臭がないと言われましたがやっぱりいじめられっ子臭かというか)

ペトロニウスさんの記事を見てLDさんのところまで行ったら、色々考え中かといいうか、

未知はヤバイ、しかし、既知ばかりでも終わりなき日常は辛い。

適当に自分のキャパの範囲で未知に会える読書、教養ってやっぱりいいかなー居場所になる、と後ろ向きな結論に達しました。

自分の友達がいない、というのも気にしていないわけじゃないけど、うーん、今まで居なかったので、必要性を感じないというか、

あ、来年、やっぱり町内会の班長さんをしなければいけないっぽいです。どうも、私は義務に対して、勝手に義務にしている面も大きそうだけど、やらなければいけないことはやらなければいけないだろ、で潰れる方向でよろしく♪

義務をこなしていたら、人生終わるっしょ?幸せかと言えば、何も無いより有ったほうが楽しいだろ?