自分軸の絶対
真理を求める、ってのが、私の動機だったりはします。
今の時間軸では変でも、100年後には正しい。
しかし、1000年後からしたら100年後の意見はまた正しくないわけである。
じゃ、いつの時代にも正しいことってなんだろう?
秋津兄が、「正しい暴力」があると思っているような素振り、理由があったら、暴力をふるっても良い、気味のようなのだが、女性に手を挙げる理由なんてあるわけ無いだろ〜と秋津くんは内心絶叫するわけです。
秋津くんは暴力大ッキレーです。確かに父の子ではありますが、同じ事象の結果が正反対に出るのは面白い。
でも、「自衛権どーすんの」と突っ込まれたら、論破され、である。
絶対的に正しいものの設定は、今のところ考えつかない。
生死といったって、
カーテン―ポアロ最後の事件 (ハヤカワ・ミステリ文庫 1-69)
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将来、悪を為すことが分かっている人は?である。
自分的には、どーなんしょ。
どの段階で心を入れ替えるか、断言できない未来の未知っつーか、自分に火の粉がかからなきゃ、自ら手を下すのは到底できませんです、が。
今みんなが正しいことと言っていること、未来においてみんなが正しいと、過去にや、現在過去未来、自分が正しいと思うこと、結局全ての価値観に絶対はなく、正しいことに帰依するのは無理だ。
どういう価値観に殉じるのか?
もっともらしさ、は自分で「考える」ものか「感じる」ものか?イズムか半径3mか?
納得して、今考えられる気持ち悪さとその行動が引き替えにできるのか、が私の行動基準かな?
外の反応なんて、自分のせいではない、自分でコントロールできもしないことを思い煩っても時間の無駄だ。
(実存主義っぽい)
みんなで幸せになれたら良いのになというか、そんな理想主義を考えていたら、夢の中でグイグイ迫られて、色んな物の押し付けられは嫌なんすけんどー
私に害を及ぼされない範囲においての理想主義っていかんでしょうな。
でも、身の破滅を覚悟しての善行しか認められないのも息苦しく、金を出した限りの株式会社的な損害だけで勘弁してよ、な、選択肢もある方が生き良いっしょでしょ?
私は恵まれた人生なので、トラブルも人生の妙味だと思っているフシがある楽観性だー(あとでどーなっても知らんぞ)
というか、finaventさん、私の病気は予後が良くないと言っておりましたが、たまたま(今のところ)よくなった身としては、その分の幸運というか、は、おすそ分けしてないと、なんか気持ち悪くね?
本当ならなかったもので。
人のために良いことをして気持ちのよいのは、神から与えられたギフトを此世にお返ししているからだ、以外の神を通さない理屈を探していたりはします。
当たり前に持っていると考えるかどうかが大きそうだな?