規範化された欲望と個性

で、どっちの家を買っても、いいところと悪いところがあるし、どっちでもいいんじゃね、的に書かれていたような、いなかったような、

人の個性というのは平均からのブレで、オール3人間はいないというか、みんなそれぞれブレがある。

相方は、調味料を買いこむのが好きで閉口している。

片栗粉、三袋あるからというのに、次の料理で大量に使うからともっともらしく1キロの一袋お買い上げとか、

サラダ油が切れかけたって、3週連続で1L以上の奴を買ってきたり、(サラダ油の予備は押し入れに置かれているので、記憶に残らんかったんやろうか)、

豆板醤も4瓶、塩・胡椒も4瓶あるよ。

どうも相方の中では4つが基本なのか、君は物がないのにおびえる戦中派ですか。保存している間に傷むんだってば、という言葉を飲み込み、にっこりありがとうと言うおいらです。害がない、害がない。

はっ、愚痴ってしまった。それはともかく、なくて7癖。

みな個性的と言えば個性的で、人間みな個性的というときの違和感は、ふつー「個性」っていうとき、目も当てられない大きなブレをさすような、どーなんしょ?

しかも、みんなに認める「良い」価値観的な能力のブレ。

いま私たちが考えるべきこと (新潮文庫)

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で個性は傷しかないと書かれていたような、「良い」価値に合わせることができない逸脱。

と、僕は、仕事を選ぶときに「したいこと」「できること」「しなければならないこと」の3つの円の重なる場所を考えろとあったような、

個性は「したいこと」「したいと思わないこと」と「できること」「できないこと」の4事象で説明できへんかなとポヤポヤ思った。

での、空っぽな優等生は、橋本治が80年代に指摘していたことだ。

世間の「良い」価値を体現できる能力があっても、本人が「どうでもいいこと」だと思っていれば、の虚無感というか、

「良い」価値観に染まって競争できる幸せというか、

(で、いつも一番のやつはその時の世間の一番を目指す(自分の意志は?)的に嗤われていたけど、)

そもそも「良い」価値観を志向するのに、「できない苦しさ」とか、

そう、僕は、欲と能力は世間のいう良い価値観「しなければならない」に対して考えると、スッキリするような、とも強引に断言するのもはばかられるけど。

吉本隆明共同幻想、って、私の言うところの「(私が仮定する)他人の(よいと思う)価値観」であるのかな、と思いつつ、たぶん違うけど、


(ここでオチを投げて方向転換)


僕は、女の子が生きるのに、良いと言われる人生ルートがはっきりしていないのに関心がある。

仕事の有無で悩み、結婚の有無で悩み、子どもの有無で悩む、

全てを取るのは難しく、何かが欠けたら、というのが当然でどこにいても全方位で非難される(と思い込む)。

人からの非難、人の価値観を無視できるほど、人間、超然としていられないよね。

リバタリアンよりの私ですが、保守、がいるのもわからなくもない。

人が、言葉を使って、意思疎通のズレに悩んでいるけど、普段は悩まない程度の共通点があり、大勢いても収束する程度の価値観のブレしかないのであれば、大勢を対象にした政策が一番効率がいいんだろうな。


世間の規範を自分の欲望とできたら、苦しみがなく、でもバカにされるしなー、自分の価値観もかっこ悪くてバカにされるし

意思・欲と実現の不条理の狭間、ジレンマとどう向き合うかが個性、その人の生き様を作るのだ(?)