自立と自律と信念と依存
水野良だったと思うけど鳥頭のアレクタイスト冒険者(?)の話で、先代の領主がいい人だって、その息子にも忠誠を誓っているが、息子の方は小悪党で、でも迷いなく息子のために命を懸けるハルバードの人とか。
サーラの冒険で、ジェノアさんが落とせなかった子は、ジェノアさんをやっぱり愛していたけど、僕が関わったらジェノアさんが不幸になるから身を引くっぽくだったような。
こないだ、なろうで、そりゃ、作者はエロ無しを書きたいだろうなと思ったのは、依存したくない恋人と対等であるべく努力する子の話とか、秋津君のツボでした。うーにょ、かわゆい。
お互い変化していくだろうけど、どっちもどっちで成長していかないことにはってな感じでしょうか。
あと、キャリアは努力しつつ流れに流されるっぽく。
大野さんのところで、自立と自律について書かれていたような違うような、自分を律する姿って美しいよねー
抑圧が高そうだなとも思うけど。
人間は変化するし、ずっと一つの信念で凝り固まっても、生きづらそうだ。
流れに流されつつ、芯の部分は持っていたり、でも流されたりが普通のような気もする。
何で僕は、依存することに対して拒否感があるんだろう(て他に投げでも〜)
自己の放棄って結構、許せない回路が発動する気がする。
人間が変化することを当然と思っていて、依存する(変わらない)信念を持つことは逃げっぽく思う回路がある気がする。
現実を直視しろっぽく。
ああ、世の中で一番最初に見たものが一番美しいものだった不幸(?)かな???(ファイブスター?)
信念を持って、その信念を世の中に発現させるように行動を変化させるのが僕の理想なのよね。
愚直に一つの繰り返しはバカだろっぽく。(あれ、正直な生き方の否定か)
生きる意味って、世の中に合わせる(世の価値観に合わせる)んでなく、自分一人の価値観を追及することじゃね、意見からすると、
僕の中で矛盾があるってことだな。
いや、僕、清濁併せ飲めよ〜派か。
自分一人の価値観て欺瞞が発生しやすいよなー
それこそ見つかりゃ僥倖だか不幸だか。僕はないので寂しがっているわけだが。
と、相方が小学一年の時から現在の職業につきたがっていたと義母から聞いて、うわうわと思ったりしたけど。
やっぱり僕が弔辞で何と言われたいかというと、ブログでもにょって更新されなかったら寂しく思う人がいてくれたらいいな、というのが浮かぶけど(最近PVダダ下がりだけど気にしないぜ。7分ぐらい見てくれる人がいてくれたと思ったら、スパムだし。最近のスパムは手が込んでいるの?)。
橋本治が「89’」でおじさんはまだ世の中に対して踏ん張っていると思っているけど、実のところ流されているっぽく書いてあったような、あらあら、僕のことかなっぽく。
でも、世の中に対して、恨みの念は持ちたくないよね。
与えられた枠の中で精いっぱい生きたいというのが僕のポリシーで、流されてばっかりじゃ面白くないっしょ。
環境を変えていくのは楽しいというか、僕は大学で変化を勉強したい→とりあえず変化の仕組み、原因を勉強したいってのがあって、それは今でも変わらないか。
真理なんて人間は届かないけど、追及していきたいのだ〜
というわけで、何かに依存してたりすると、追求して「いく」という現在進行形にならないので、拒否感があるっぽいかな。
考えることの放棄はしたくない。
現状に安住する奴は嫌いっぽい。無駄に向上心あふれるな。(で、一度潰れているんだけどさ)