自由と平等どっちが重いか
昨日は物語三昧ラジオを聞いて、おいら、最近9時半に寝ていたのに、11時寝で今日はあんまり体調がよろしくないのであった。
要は寝落ちするつもりであったのに寝れなかった面白さよ、である。
ペトロニウスさんのテーマの一つに、動機のない人をどうやって救うか、があるっぽい。
これを聞いて、秋津、リベラリズム派からリバタリアン派に確定っす。という、別にどーでもいいエントリっす。
秋津君は、相手を尊重する。
それは、私から見て相手が不幸でも、本人にとっては幸せかもしれないし、と生き方の強制はしたくないのれす。
何か、目指すものができたとき、本人と関係ないところで道が閉ざされるのはまずいし、人生やり直そうと思った時に、そのルートの存在は知らせておきたいと思う。
でも、動機づけさせようとかこう生きなきゃいけないというのはヤである。
だって、ファシズムだろ、悪く言えば。自分の思想でまとまって、他の生き方を許さない。
仕事で言うと、必要とされるものはあって、定時に出勤できない人に会社員は無理です。
本人も苦しんでいるって、世の中そういうルールなので、それの逸脱はされない。
次善の策を一緒に考えるのは有りだし、会社員でなくてもいいんでないの、向いているのは他にあるよ、とは言いたいけど。
それで、できないと生き方の幅が狭くなるというのは分かるし、別に生活保護を責める気もないし、税金使っても仕様がないとは思う。
ただ、「食べるものを恵んでもらうだけで、犬猫のようだから、あなたとは一緒になれない」(?)と、久生十蘭は思い出すが、現在の状況で人を規定したくもない理想論である。
教育費にもっと税金つぎ込んでいいんでないの、どこを削るかだよなーと思いつつ、昨日のラジオ、市民としてどれだけ時間をつぎ込んだかでようやく市民1歳、5歳と経験を積んでいけるぽく、
私の超理想論は問題ありだと思うので、普段の暮らしで会わない人を知るボランティアはして自分なりに成熟していきたいとは思うが、やっぱり5年は動きが取れないかなー
あ、自由より結果の平等いっとるから、やっぱりリベラリストかな。
(追記)
ペトロニウスさんは何が何でも動機づけせにゃならんとは言っておりません。
不可能を追い求める価値?(寝ぼけてよく覚えていない)
そういう視点があるのなら、で勝手に膨らませております。