意志を貫く

スイッチインタビューの録画をポコポコ片づけようと、見ておりました。

「この世は弱肉強食」って子供のころに思いましたか?思うよな。

世間は優しくない。

でも、大人になるってことは、この世の法則に逆らう自由を手に入れることと思うのよね、

というか、最近グルグルしているところをも一回書くだけなんだけど。


世の中は自分を傷つけようとする力で満ちているって青空人生相談所だったか、まあ思うようにはいかない。

って私は、中学生の時に、世界には従わなくてはいけないルールと言うやつがあるんだなーとは思った。

自分と、外のルールと言うやつがあると思った。

まあ、明確に、「社会」という言葉が私の辞書に加わったのは、大学入試時だったけど。

でも、嫌われることを覚悟で、というか、私が不利益をこうむっても、意思を通したいときってないか?

それこそ、

のような。誰にでもできることだはないから心打たれるが、逆に言えば、自分がその立ち止まる人になっていけない理由もない。

世界は醜いものだったとしても、私がその醜さに付き合って一緒に醜くなる、、、

世界が醜いのを、自分が楽な方に流れる言い訳にしている面もあるような。

大人になるってことは自分の行動に責任を持つってことで、責任を他に転嫁するのは子供、、、

まあ家庭のある人はねー馬鹿なとーちゃんを許してね、と言うか、満州で逃げるときに一歳年上でソ連からの徴収を免れたのに敢えて行って、結核貰って、、、子どもがどう思ったか、はっきりとは書かれていなかったか、記憶に残っていないのだが、やっぱり肯定しにくくはあるだろうか?

しかし、それはそれで、人それぞれであり、僕は父や兄の不器用さは、兄が父からの防波堤になって殴られたこと、はあったか、でも、大学出させてもらって困苦でなかったからか、愛おしいものには思うわなー

不利益が問題なんだけど。

その人個人と言うより、その人個人がヒロイズムに浸るのはまあいいとして、周りがどう支えるかでもあるか、

その人が不利益をこうむって、でも、ライオンぽく、周りに支えられることで、支えられないと耐えきれない面も大きそうで。

だんだんズレてきたけど個人の選択ってなんだろうと、最近、考えているのよ。

平川克己が、親の介護は、義務に従うことで、受け継がれるものがあると書いていたような、

家庭ができること、と言うか、独身でなくなって、気ままにもと言うか、大事なものができることと、自分の意志を通すことの天秤は、あからさまに対立することであり、

finalventさんが後世に期待する、ぽくもあったような、自分も意思を貫き通せた時期があって、無駄にはしたけど、年下の子らも世間のルールより自分の意志を貫き通す場面があったら、「私にできる範囲で」、責めないことはできるというか、

頑張る子は応援したいというか、

おじさんは、若い子のおいしいところだけ吸い取るってこういうことなんだろうか。

不利益をこうむらずに、リスクを被らずいい気になることはできなし。

不利益をこうむらずに意思を貫き通すのは嘘である、かなー

組織の内部から組織を変えると思う、自分はまだ流されていないと思いながら流されるおじさん(「89’」)

世間を変えていくのが目的で、自分が不利益を被るのが目的ではない。

不利益と意思・理想の関係ってどーなんだろ?

世間を説得しつつ、理想の実現の一助をするのもありって、人並み的な気はするけど。まあ自分的にはその辺で生きたいかなっと。