納得と選択肢と人生(2)

(追記の追記あり 10/6)

僕は、どうも、納得する人生を送るには選択をするのが大事だと書いていたっぽいのだが、(回路が切れて、納得感がない)と言うのをホリホリしてみる。


その前にっと、いろんな集団があって、自分がその中から気に入ったのを選択できるって大事よね。

一つ、二つしか集団がないって、我慢が大きくなりそうだし。

例えば、僕はケアレスミス大魔王で、正確な仕事が大の苦手で、そんな仕事しかなかったら死ぬ、マジで。試行錯誤できる仕事ラブ。

合う、合わないの選択ができるのがありがたく、いろんな集団を抱えてられる上位集団はよしって、中間集団と国かいな。

権利を当たり前に享受すると、ありがたさが分からなくなって、維持も難しくなるのか?

広い視野をたたき込むにはどうしたらいいんだろ?外部の存在を適当に経験するしかないのか?広い経験か?


キャリアには、目標を決める山登り型と、その時その時でいい方を選ぶ(でかい会社だと人事の希望なんてあんまり通ら無しで予定できない)川下り型があるそうだ。

川下りもその時その時、急流があったり、岩があったりで、まっすぐな道でなし、で、人生を振り返って、流されただけのつまんない人生だったという人と、こんな仕事があるとは思わなかった、その時その時を楽しめたという人がいるらしい。

その違いは何かと言うと、川が二つに分かれる瞬間があるわけです。その時、前者の人は、保守的に今と続く道を選んで、後者の人は先が分からないけど楽観的に未知の道を選ぶことが多いらしい。

守りに入ったらつまんないし、未知を恐怖ととらえず楽観的に行こうぜ、なのか。


(ここで書くのに2日あけました)

選択肢がないっつー状況は、先が見えるってことでもある、かな。

運命をどうとらえるか。

人間、先が決まりきったとして耐えられるのか。

決まりきったとして、結構、山あり谷ありがあるのが人生っツーものだけど、老いるし病気なるし、いつまでも逃げ切れるものでもなし。

まあ、僕は少し話した人がわかる、裁量がないと死ぬ人なんで、決まりきった人生に対して否定的なのはものすごーく割り引いて考えないといけなんだけど。

うーん、ちょびっと話を膨らませにくいな。

要するに人生にわくわくしていたいんだよ。それと選択肢があることは関係あるのか。

もともとは、漫研界隈で、再契約っつって、流されていたことを、自分で選びなおす過程があるのが多いという話があった。

自分の人生に対して全力になるには、嫌々ではだめで、納得していないといけない。

ベストである、ここしか居場所がないと思うっツーのとはイコールにならないか。

ここしか居場所がないっツーのはなぜ忌避感を誘うのか。卑屈な感じがするよなーライトノベルっぽい。

人生にとって一番大切なものは変わる、のか?自分が変わる可能性を加味しない視野の狭さか。

ぼかーその時その時でベストを尽くせ、って隆慶一郎派だもんな。

一つ、思い込みがあったら、人生、生きやすそうだけど。

覚悟を決めることって、大辞林、親父にとられて、そのまんまになって「覚悟」が引けない。

あえて選ぶ、余裕を見せてもらいたいのはある。

秋津君の辞書でいえば、生き方を選べないのは、天才の生き方で、凡人には関係ないというか、しょうがないっつーか、自分の意志でどうこうなることでもない。

それが不幸なのか。ほかの誰でもない私だけの人生に選択は関係あるのか。

ぼかー40代も近づいて考える。女性が、仕事、家庭、子供の有無、どれをとっても、決まった道がなく、もしもの人生を考え続ける(らしい)ことを。

考えたってしょうがないことである。けど、ふと、考えることがある、もう一つの人生。

小学校の時の友達のねーちゃんが、パキスタン人と結婚して、市役所やめて、離婚して、退職したことを後悔しているとかしてないとか、というのをその時その時、現在進行形で聞いている。


正直に生きると、聖霊が代わりに立ってくれる場面もあるのか。何を大切に生きるのか。

選択肢を持つことと、選択肢を持たない、人生にとって一番大切なものを決めるのは、生きざまだろうけど、押井守が、人生の目標は定めないと流されて終わるっぽいことを書いていた。

流されて何が悪いかっツーのはある。誰もが英雄になれるわけでない。

生き方が多様であるっツーのはありがたいことで、英雄は尊敬しつつ、私は私の人生があり、選択肢があるっツーのはありがたいことで、やっぱりバカな人生はバカな人生なりに、他人から与えられる選択肢は多いほうがいいと思うリベラリストかなー

嫌なことを強制されるのは嫌だー

嫌でないことを強制されるのも多いかもだけど、それはどうでもいいけど、選択肢を狭めることを選びまくっていたら、いつか、嫌なことを強制されることも多くなるのかって、

年収1000万の人が残業つかなくなって、年収の枠がだんだん下がってくるのか、派遣の枠はだんだん広がったっと言われるとちょっと弱いが、枠をはめる範囲の決断も人によって違うんだろうけど。


(追記)
他人から与えられる選択肢は多いほどいいけど、自分がしたいことができないのも人生で、そこで、どう行動するかっツーのが問われる。

人から強制されたからって、諦めつくのか。

変えられること、変えられないことは神ならぬ人間の身には分からないことで、悩み、苦しんで当然で、でも、じぶんはどうしたかったのか、一度きりしかない人生で、諦めるのも当然自分の選択で、諦めないのも選択で。

選択肢がないっツーのは嘘だな。どんな状況でも心境は選ぶことができるって、理想論だー


(追記の追記)
んで、諦めずに頑張ったおれっちは、倒れて入院して折れました。

常夏島の人は、エリートさんって、すっげー仕事量をこなして潰れない人だとも書いておりましたが、自分の限界って倒れなければわからないわけでして、そんなもんに人生かけんでもともなるわけで、健康第一だよね♪

結構、何よりも優先すべき人生第一の価値観てなんだろうと、ぼんやり考え続けております。

死ぬより辛いことがあったほうが生きやすいのか、そんなものないのか。人間の個ってどこまで突き止める?