信じることの周辺を
信じるというか、不合理であることの周辺を。
極右の国民戦線を破り、フランスにイスラム政権が誕生する、というストーリーの小説「服従」(大塚桃訳、河出書房新社)は、週刊誌シャルリエブド襲撃事件の当日に発表されたことでさらに話題を呼んだ。
以前から、著者であるミシェル・ウェルベックの小説は注目して読んでいた。特に「ある島の可能性」は、人間の老いへの恐怖、性と生への執着、不老不死とクローンにまつわる問題を描き出す見事な筆致に圧倒された。
本書「服従」には、イスラム教に改宗した学者が登場し、SM文学小説「O嬢の物語」を引き合いに出したら、自己による意思決定を放棄し、巨大な存在の意志に服従するというが人間にとってどれだけ甘美な喜びであるかを主人公に対して説く。
著者は、彼の姿を通して、学者というものがいかに世の中に迎合していくのかを、淡々と皮肉に満ちた調子で描写する。
フランスの物語のはずなのに既視感を覚えるのは、日本でも同様の現象が進行中に他ならないからだろう。それがイスラム教ではないにせよ。
著者の観察眼の鋭さには新刊を読むたびに驚かされるが、確かに、人間の脳は「信じる方が気持ちいい」ようにできているのだ。
これは、人間が集団を形成・維持する機能の一つであり、非常に強固である。また認知不可と呼ばれるが、人間の脳は、自分で判断を行うことが負担で、それを苦痛に感じるという特徴も持っている。
宗教を信じている人の方が、そうでない人よりも幸福度が高いというエビデンスもある。それがいかなる宗教であっても「信じる方が幸せ」という人間の本質そのものは変わらない。
有限な人間の一生で、何が幸せなのかを考えたら、信じる方が得だ、という結論に至る主人公の選択は悲しいまでに合理的だ。
「信じたい」という、人間の認知のセキュリティーホールを巧みに突く生存戦略。これからの世界では、いったい誰がそれを使って勝者となるのだろうか。
若いな。と思う、でもおいらより5つ以上年上か。
500年前、人間は空を飛べるとは思っていなかったと思う。
みんなからバカにされても机上の空論を実現できたのは、できる、と信じたからで、信じたことで実現されることはある。
9番目のクリスマスストーリーに似るか。愛は目に見えないものである、実証できないことでも、存在を信じることで実現される。
信じることは阿呆なことであるが、同時に信じることの良さ、日本人の良さと悪さは裏表的に、良い面もある。
悪く出るかよく出るかは時と場合によるだけで、それだけで、よいものとも悪いものとは言えない。
何かプロジェクトX的に、何かを為そうと思ったら、状況は決して順調に進まない。五里霧中、解決策なんて、まったく見えない。
それを粘り強く解決しようとする意思が維持できるのは、実現を信じるからだ。
そして、そんな五里霧中な状況をひっくり返して、人類は進歩するのだ(?)
信じることは考える放棄とも一面は言えるかもだが、傷つき、迷い、苦しみながらも信じるという状況は大いにありうる。
現状追認かどうかというのは信じることと関係ない。
最近、事務所で床屋経済話をしている。
「0歳児を預けたら保育士さんとか一人当たり月40万かかるそうですよ。確かにそれだけ稼げる女性はいないでしょう。阿部さんはどうも女性に育休取らせて、費用を浮かせるつもりみたいですが(←???)、3年休んで、女性が仕事を忘れたりして出世が遅れたりできなくなったりして、将来的に稼げる金額のロスを加味したら、トータルで損になったりするんじゃないでしょうかね」
と言うと、保育士は0歳児3人に付き1人つける、1〜2歳児は6人に一人、3歳児は20人に一人と書いたWEBから落とした資料を渡されました。
うーん、確かに0歳児とか無茶苦茶に手間かかかるみたいである。突然死するし。
まあ、トータルで見て、どっちが金がかかるか、と言う問題はあるが、それでも、0歳児で預けてトータルで得をする状況になったとしても、選ばない選択肢はある。
それこそ、(よく知らないが)保守的な幸せな家族像のためならばってやつである。
人生金じゃない。合理性ですべてを計れるわけでない。どんな人生を生きたいかってやつである。
子供が可愛くなって、こいつのそばに居たいと思えば、そんな選択肢もありである。
天才的なプログラマーの才能があっても、田舎で農業するのもありである。
やりたいこと、できること、必要とされることで重なる部分とは言うが、わたしだけの人生と言うやつは、わたしだけの価値観、やりたいことを最優先せずになんとするさ。(あ、秋津もまだ若いか)
もっともシステム的に生き方の強制をされると、そんな国家って生きやすいのか。青色LEDのごとく逃げれるだけの能力を持った人は逃げると思いますけどにゃ♪
伊方原発も稼働して、高知新聞は、電力たりとるやん、よそに売る売る分が欲しいからやろと書いとったんですわ。
電気料金が上がったって1割か。もしもは数兆で、まあ、アメリカに比べたらもともと高いっていうけどさ。
何と何を計るのか、そこをはっきりさせてもらいたいよな、でもはっきりしたとしても、金的にいい方をとるってことにもならない。
国民がどういう生き方をしたいのか、そのためにはどこに限りある金を突っ込むのがいいのかと言う優先順位の基本方針は、多くの人は納得するけど、世界に住む人全員の同意を得ることのできない非合理なものであって、日本国民の良し悪しのわざわざ国家を作る独自性である。
ちゃんとメリットやデメリットの大きさや確率、計ってるのか謎有りまくりだけどな。
個人であっても合理性を超えたところに、人生の妙味はあって、人生の最優先事項は他人から見て納得できない不合理、自分の価値観に殉じることではないかと思っていたりするのでした。