理不尽と人間らしさ

某所でセンター試験以後の頭のいい人を批判している。

何がって点は書かれていないけど、なんと―なく読み込んで勝手に話をふくらます。

ぼか―東大なんて怖くねって書いたけど、まあ中高のクラブの同級生が何人か行って、心当たりがないわけでもなし、ま、当時偉さが分からなかっただけと言えばそうかもだけで、ただ、ある種の頭のいい人がいるのは認めて、しかし、そいつら、詰まんないんじゃね、と思ってる。

いわゆるミーシーに強い人というか?頭の中の分類が強い人、論理的な人である。

論理的な帰結なら、コンピューターのほうが強いんじゃね、と書いたツイートを見て、なんとなーく納得したというか、

誰もが納得できる論理の帰結、というのか、それって個性っていうのか?

反論のできなさって詰まんね。

替えがきかない、独自の個性って、思い込みのことじゃね、というか、飛躍する文章が好きだって書いたこともある私は、その人だけが再現性のある電波が書かれてあるとチョー楽しー

もっともらしさ、ってつまんね、というか、論理を極めれば差別化もできるんだろうけどな。

と言いつつ、これまでと反対のことを書くが、なんで思考が訪れたものであると書いたかと言えば、人が全知全能でないからである。

完璧に再現性のある論理を人は紡ぎだすことはできない。

絶対的に正しい論理を作り出すことができない点で、本人的には理性的に演算して正しいと思った論理でも、必ず失敗を含む個性がある。

どの程度、周りの賛成を得ることができる失敗のもっともらしさ、人に理解できる程度の正しさ、今までは正しかったと言える、過去からのデータの蓄積はこれからを当てることができるのかって、不可能を可能と思って偉ぶる人は詰まらんというか、ディープランニングの本も読んでみたしなんだけど


(追記)
と悪口を書いて、東大言った子ズは、秋津君がバカやったのを、ちょっと困ってたしなめてくれていたような線の細い寄りの自然体の子であったような思いでしかなく、いじめっ子をするような無駄な自信のあるのは旧帝大クラスかな。

なお、高3になって全国模試受けたら2位の人が、前住んでいたところの高校で名前に見覚えがって、近所のグループの子らしくも思った、ちょっと浮いて先生とも合わずよくべそかいていたような走馬灯がの、約20年前。

医学部志望だったぽいが、上手くやっているといいけどなーでした。