心象にしたがって生きる

僕達の眼に映る悉皆の事物は、僕達の眼に触れ、心の中に入る時、僕達の情念と理性とに結ばれ、なんらかの心像を形ちづくる。僕達が無邪気に想像している、客観的な事物乃至事件というものから、僕達が確かに引き留め所有するものは、実は之等の心像にほかならない。現実とは、僕達にかかわりなく存在し、又動いているものかもしれないが、そのような現実とは僕達にとって何であろう。僕達がそれらに働きかけ、それがこの心像の場に転移されて精神の現実となることがないならば、純粋に客観的な現実は、かかる意味も持たず、僕達が正しく僕達であるのは、この心像の場をおいて他にない。(後略)

隆慶一郎は、心象は情念と理性が合わさったものと考えていたのか。

私はどうだろ?というか、私は心象のままに生きることが分かっているのか?



私の中には感情のお池がある。結構動じない。「ニル・アドミラリ」。別に起こることはどうでもよくなっている。

感情のお池は感情をつかさどる。何かに対しての感情である。

自分に正直に生きたいとは思うが、竹田青嗣の学生が、「感情はフィクションであるとわかった」と言っていたような、感情は反射的なものであり、私のものではあるが、この感情の生じる原因は、私の思い込みである。

たぶん、理性で考えるとばかげている。だから、感情は忘れるようにもしていると言いつつ、ニル・アドミラリなので、あんまり上下がないので、感情に従っていると言えば従っている。

結構、僕は揉めるのが大嫌いなので、周りがうまく回っていれば、それで嬉しいというのもある。

でも、ないがしろにしているかっつーと、僕の考えは、感情という感覚というかラべリングからのもやもやを言葉に抽出しているので、感情第一と言えば第一なのである。

自分を捨てて、相手の考えそうな事から、自分の考えを組たてる理性の動き重視もできないではないが、メモリが足らない気味なので、3言話して、通じないときでないと発動させていない。

で、自分の感情全てでなく、他の可能性も考える、理性の隙間もある。

まあ、人間、どっちか一方なのも少なそうである。

というか、林伸二さんが子供がいたので飽きっぽい自分でも、店を続けられたとあったが(https://note.mu/bar_bossa/n/n59f50d435b10)、自分の心のまま、生きても限界がありそうである。

我慢を必要とする。納得する我慢で開ける道もある。

之等の心像は意志によってつくられるものとは限らず、之が形成にはいわば僕達の心の全歴史がかかっているとしたら、そして、生涯のある瞬間に僕達が現勢力に変じうる心像の数は、その中でも限られたものにすぎず、しかもこの瞬間に対して僕達は己が生命を賭けるのだとしたら、その時、すべてを理解し、すべてを知るということはどういう事であるのか。(後略)

ヴァレリイの知性は認識の極限を追って、遂に何物かであることを拒否するという完璧の答を生み出すに至った(中略)。ヴァレリイの鋭い眼はこの仮構された底を設定することの無意味さ、その無力さを洞察した。彼にとって重要なのは下降してく歩みだけだったのである。あらゆる人間的条件をふみ超えて迄も、唯その歩行の正しさのみを信じてこの深淵を下降していく彼の姿には、最早ニヒリズムなどという気のきいた言葉を以って覆いえぬものがある。己の精神がより真実であるためにはすべてを捨て去ってくいることのない彼の姿は、激しい強靭な意志によって貫かれている。最早虚無などというものは存在しない。(後略)

情念と理性の心象のままに生きることは、誰もが納得できる考え方でなく、って納得する人生は他人の考えではなく自分の考えで生きるって書いていたよ自分(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20150910/p1)。

選択と納得できる生き方をつなげてもいたみたいだ(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20141112

(基本的に、感情のふよふよをその場でつなげて書いているので、ふよふよの経路は固定されていないのですぐ書いたことを忘れる)

私は心象のままに生きるのは無理と思うが、一方で納得する人生を生きるために、人生の選択をしていきたい派か。

他の誰でもない自分だけにとって意味のある生き方は、自分の価値観をないがしろにして達成できるはずもない。

たぶん、恐れていることは、起こる可能性なんてそもそも低いし、そうなったとしても、ニル・アドミラリからしたら、何も起こらないより楽しいんじゃねというか、この辺、もっと突っ込んで考えてもみたいが、経験が浅すぎてお話にならないかのう。


私は自分の価値観も他人の価値観も両方大事派で、自分の尊厳は他人から得る必要もあるが、全部合わせるのは嫌なんだけれども、「私」の心象のまま生きるって、自分の価値観ゴリ押し派のようで、自分の価値観は他人を大事にするのも含んでいるのなら、納得して折れますかなって中途半端さよ