「当時」の正しさ

[追記]あり

第二次世界大戦中、ドイツでナチスと対立して追い出された非ユダヤ系な教授の本を読みました。

当時正しいこと、の反対勢力はぜったいに残しておくべきなんだな、と。

もちろん暴力で言論を封殺する勢力はダメなんだけど。

多様性が大事、な私の大好きなお題目も「」でくくって大事にするべきで、反対意見を封じるわけにもいかない。

まあ民主主義のジレンマと聞いたことがある。

ズートピアが多様性を重んじてどれだけ圧政しているか興味津々だったが、やっぱり週末も体調不良だったので見に行けず。

で、土曜の夜に、NHKで不寛容社会と題する、NHKの視聴者参加型番組を見た。

炎上は自分が正しいと思っているからやっているって、

私はあなたの意見に賛同しないが、あなたの意見は全力で守るっつーのを誰か言ってくれたかな、と思ったもんでした。

自分の自由な意見はあなたの自由な意見と等価であるだろう。

ふーんと思って、風呂に入ろうとして、腕時計を外し忘れたと、居間に戻ったら水×氏が「少数者も意見が言えるようになってよかった」的に、おおお、と思ったけど、風呂に入って出たら、寛容について語るまとめになっていたのでした。

宇野氏、突っ込んだかな?

あなたは、少数である自分の意見が言えない世界に住んでいたのか、と目から鱗

教室で空気読めってそんな感じで、ネットで自由な意見が言えるって素晴らしいかって自分だよ。

まあ自分、それなりにリアルでもピラピラ意見は言っているので、そんなにストレスではないし、皆の賛同を得られなかったらそんなもんだと思って意見は言うけど、通るかどうかは気にしてないけど。

竹田青嗣の信念対立は相互承認と共通ルールしかないつーのが重い。

一応、自分は自分の意見がもっともだったら通るだろうという世間に対する信頼があるが、なければ、権力があるほうの意見しか通ってないぽく、レジスタンスになるか?と勝手な妄想をした。

というか、まとめで、反対意見の人を同じ人間だと思っていないだろっぽく。

ああ、私は同じグループの人が豊かになるためなら、自分が多少に身銭を切るのも納得するが、赤の他人のために金は使いたくないのではないか(税金問題、ドイツ問題)と思っていて、

finalventさんは調整が政治だろ、と一刀両断ぽかった。

私としては意見の違う人でも仲間と思うには、は私のテーマである。

民主主義万歳のフランス革命から無理っぽくの情報も仕入れているが。

って、権力と共通ルールの話に持っていこうと思ったんだけどヨソ行っちゃったよ。

皆が納得するにはどうしたらいいのか日本の話し合いか、と宮本常一は不可能なもんだし。

まだどこか自分の意見が通ったら、意見の通らない場面があっても譲り合いの精神になるのか、

森博嗣がみんなが犯罪の犯人が明らかになるべきとは思っていないっぽくも書いていたが、正義の執行って、結構、気にする性格類型があるのか、そこでしか自己表現ができないのか、やっぱり生活が落ち着いていてこそかなーでないと反体制派と共和党を思いつつ決めつけはいくないが

朝は落ち着いて書けないのよね。


[追記]
通勤途中、ブログ内容を頭で反芻して、

ネット炎上の研究

ネット炎上の研究

「ネットで人を攻撃するような言動に及ぶ者が全体の0.01%の満たず、そのプロファイルも「年収の多い若い子持ちの男性」であるといったようなことだ。」

と日曜の地方紙で紹介されていたのを思い出したのでした。

切り込み隊長のツイートを毎日見るようにして4日も経たずに挫折したというか、けなすのはもちろん、ぼかー釣銭間違いも指摘できないときがあるほど、基本、人の批判はできん人です。

もーダメなんである。

さくっとできる人の気持ちは分からんとですな。