一庶民の生きざま

前々回「自分的には他人の尺度で生きる場も必要だけど、自分の物差しで生きる場も両方必要」(http://d.hatena.ne.jp/akizu/20160405)と書いて、じっと考えている。

私は病気で社会的に無になる可能性も高く、そうなったときに、他人の尺度で生きる、というか、他人との関係をどうやって持つのか。

賎しめられるっつうのも一つの関係であるが、そこでめげない回路として、他人を許す、寛容の心で接するというのは有りか。

気に食わない人の気に食わないところを変えようとしない、受け入れる

→相手(環境)をありのままに受け入れる

他人のあるがままを認めないということは、他人を自分の願望で動くことを期待している
→他人をモノとしてみている

モノとしてみるってことは相手を尊重していないことなので、マズ―

相手を尊敬していないのに、自分を尊重しろというのは、きっついことでもある。

相手に尊重されなくても相手を尊重する難しさを考えると、きつさが実感できる。

もちろん、自分を尊重してくれない人を尊重するというのは理想だろう。

その難しさは、パレスチナとかで敵国に家族を殺され、敵国の人も自国の人に家族を殺され、恨みを忘れることができないのと同じで、どちらが先に許すのか、許したとしても戦争が終わるという保証はないのと似ている。

わたしが相手を尊重しないと、わたしを嫌っている相手は、わたしのことを見直すきっかけがない。

お互いにお互いを嫌っている状態がこう着する。

言い方はわるいが、どちらが先に折れるか、大人になれるかってことで、自分が尊重されるから相手を尊重するというのは、まあお子様のたわごとであろう。

気に食わないありのままを受け入れる寛容さは強さでもあると思う。

でも、と、団塊の世代とかどうなんでしょうとは思うが、いつまでも社会に文句つけるだけではいられないとき、社会のことを自分のこととして引き受ける覚悟を持ったら、人の批判でなくて、そのきっつい状況をいかに良くするかを考えると思う。

東京都の人口1300万人、東京圏で3500万人、ベッキー騒動で(TV局に?)電話を掛けたのが1000人前後、SMAP騒動で電話を掛けたのが350人前後だったといい加減に記憶しているが、暇人は13万人から35万人に一人(パソコンの電卓で%を計算しようとしたらバグった)で、あんまりアレな人はそんなにも多くない気もするのだがって、今度、町内会に入る程度の秋津君は思うのだがって。


前回、出勤時間を気にして端折って書いたら、結構このブログは私より年下の人が読んでいるようで、ちょびっと詰めてみました。

と、ルサンチマンまみれの人が多いような気もするが、実際は一部が目立つだけ疑惑がある。

私のモットーはニーバーの祈りで

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

過去は変えられないから受け入れるしかないが、失敗してもリカバリーでかえって仲良くなったともいわれるように、未来をどう転がすかは自分の意思、行動だ。

未来がどうなるのかわかるのは神様だけで、状況に納得できなければ行動するっきゃない。

と言いつつ、受け入れるしかない状況もあって、冷静さを身に着けることができればいいのに、冷静になれない。

この納得できなさを受け入れるには神様が決めたことだからって神様のせいにして、折り合いをつけたのが、秋津君大学受験失敗談である。

得意科目最高偏差値84オーバーで、大学に入りさえいれば内容は理解できる、勉強しかとりえのない私が、知識がたいしたことなかったら就職先ないやんと真っ青だったんだけど、

今は神様を持ち出す必要はない。時間がいやすというか、そのヒデーと自分が思った状況もあたりまえになって、過去になる。

なんかのアニメで、ひどいことがあってその復讐心が薄れる恐怖で忘れないために機械になったというのがあったというかなかったというか、

入院先であった人もそれないに自分の現状を受け入れているようだったというか、がん患者なりの受容の段階とパターンはあるというか

神谷美恵子の生きがいについて、で生きがいを失ってから立ち直るまでが書かれていたが、

時間がたてば認めがたかった現状を認める回路は普遍的に存在するのではないかというが秋津君の放言である。いや、ときどき痛みに襲われることは避けられないだろう放言だけど


(追記)

すまん、SMAPファンの方、ちょっと文脈に合わないかなーと思ったけど、数字を覚えていたのでつかっちゃいました。

あれはブラックな感じはしないと思うんですが、というと、すべての突撃は本人にとっては切実なんだろうなというわけで、切実さの指標としてすいません???