希死念慮
(追記しました)
仕事で失敗すると死にたくなる秋津くん。
彼女に愚痴ると大したことねーと言われるのが分かっているので、まあ切り札にとっておくとして、
(彼女が心配で午前4時頃まで寝れなかったつーのはアホだと思うし笑ってやるのだが、向こうがそれを望んでもいないようなので黙る)
というか、相方の存在がストッパーになっていないのよね。
職場で話すに、仕事場でこの手の話をすると、普通の人は死にたくはならないと強調された。
子どもが自殺するのは学校が社会であることで、親は学校を休ませなあかんし、学校の外の世界を教えないといけない、とか、
じゃあ先輩は何が楽しいんですかと問うと、
おいしい晩御飯を作って、刺し身(が美味い高知県)を食べながらテレビを見ること、
ってそれ、楽しいか?
私もブログっていると楽しいなーとは思うんだけど、いや楽しいけど、仕事での憂さを晴らす方法がないっつーか、
自分を忘れる場所、家庭(今は別居だし)が忙しくなれば、暇な奴というか、
楽しいことがないんだよなというのと、
他人の幸不幸に関心がないというのが微妙にリンクしている気がするのよ。
子どものことでは冷静になれないというような大事な人がいないというのか、
悲しみ2倍、喜び10倍ぽくもあるし、以下略するけど。
その前の段階というか名誉心というか承認欲求、馬鹿にしてはいけねというか、
承認欲求というのも悪いような、自分の場所があること、必要とされることもじぃっと考えている。
いや、自分は自分の価値観を追求する場と、他人の価値観で生きる場、両方が必要だと思う派だけど、究極的にはどっちが生きるのに崩れないかと言われると、他人に必要とされることの強さを思う。
未だ実感されない我が身を噛み締めつつ。
あ、中二だけど、まあ自分がそれほど偉いとは思わないし、人が悩む問題で悩む程度の頭のほうが幸せっすよ、たぶん。(と言い訳)
(追記)
価値観がいろいろになると、人がどんなことを言っていても、まあいいんじゃない、とあんまり関係を持ちようがなくて、
寂しくなる近代の孤独というやつか???
(追記の追記)
2月に会うのは初めてじゃねと相方に言われつつ、3時間(だけだが)一緒に過ごすと、かなり元気になりますな。
痩せたと言われました。(実は1か月で2キロほど痩せている)
やっぱり4月から一緒に暮らしたいな、どーなるやろというか問題は解決していないので、念のため出勤せねばならぬが、