自分と、自分の所属する集団と、関係ない集団
そこで、「自分のものにしても許されるかな、というものだけを拝借しているんですよ。過ぎたものには手を出さない。身の丈がとどくなら我慢もしない」
というのが暴走につながる点があるとすれば、他人との調停という視点がなく、あくまで自分にとっての良い状態を目指している点か、
ってのを考え付いたのが1週間前である。
しかし、というか、こっちのほうが精緻か、と思ったのが
- 作者: 竹田青嗣
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/12/01
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国際関係のルールをどう調整するかについて、普通の人が無意識にどういう意見を選ぶかは、基本的には三つのパターンがあります。
一つは、「私にとって」都合がいいプランを選ぶということです。(略)
もう一つは「われわれにとって」、つまり日本(人)にとってはこれが都合がいいんじゃないかという態度です。(略)
最後に、「みんなにとって」人間全体にとってこういう調整が一番合理的ではないか、という立場です。
日本のこともあるかもしれないけど、世界の中であまりごたごたが起こって戦争にならないようにするには、まあこのあたりが妥当だ、という仕方で考えることです。
うーにょ、私からすると、私の所属する集団の意向は考えていなかったな、のほぼ独身延長戦。
あ、ちなみに今日は旅行へ行くけど、仕事も2、3時間ぐらいしておきたいので今日の更新は短文予定です。
しかし、原理的には「わたしにとって」あるいは「日本にとって」という立場を支持することは、ルールを調整するということではなく、ただ自分の都合を主張しているにすぎません。
そして自分の都合を正当化することができる根拠は「力」だけです。(略)
今あるルールが特定の人間だけに都合よすぎると感じられたとき、誰かが異議申し立てをする。(略)
トラブルはすぐ起こらなくても潜在的にその可能性は増大していきます。
他人との調整は争わないためでもあるな、みたいなー部屋片づけて仕事行きます♪