私定義の責任

人のために生きることと人の価値観で生きることを前回イコールで結んだのは強引だった気がしないでもないけど気にせずに。

人のために生きることと考えていたら

が、責任は誰ひとり引き受けない。

むむ、私の中では、自分のために生きることと他人のために生きることは重大な二項対立と化している。

オーフェンのこの言葉のなかの「責任」は自分の利益を考えずに他人のために生きることと解釈できないか?

せきにん【責任】


① 自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。 「 −を果たす」 「保護者としての−」


②自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。 「 −をとって辞職する」 「だれの−でもない」 「 −の所在」 「 −転嫁」


③〘法〙 法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では,違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。

大辞林の三版だそうで、さらに

ぎむ【義務】

① 人が人として,あるいは立場上,身分上当然しなければならないこと。責務。


② 〘哲・倫〙 道徳的な必然性をもつ原理によって人が課せられる,ある行為をなすべし,またはなすべからずとする強制・拘束。


③〘法〙 規範によって命令ないし禁止されたこと。あることをせよとする作為義務と,してはならないとする不作為義務がある。 〔津田真道訳「泰西国法論」に「務む可き義」とある。duty や obligation の訳語。「和英語林集成三版」(1886年)には双方が訳語として載る〕

うーん、立場上の責務と言えば、社会(立場)上の責務で、他人のために生きることとと言い換えるのは無理かなー


私は仕事していくうえで他人からの承認を得て(?)、趣味で自分の価値観を突き止めよ派である。

全く、他人の価値観で生きることと、自分の価値観を生きることはバランスだと思っている。

どちらか一方だけで生きることはできない。

中庸で生きるってことは、極端を生きないってことである。

自分の価値観を突き止めるにしても、他人との共生範囲の中で、となる。

ハリネズミのジレンマというか、自分の欲望と社会的義務の間で煩悶するのも、また一興かのう。

丁度いいバランスは、人によって違うんだろうな(と珍しくなんだかオチがついたような、あとでなんか浮かぶか、ワクワクだな)