こうむる不利益覚悟の行動は周りの迷惑を緩和するか
- 作者: 竹田青嗣,西研
- 出版社/メーカー: 現代書館
- 発売日: 1999/02/01
- メディア: 単行本
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近代が生み出してきたものは根本的に歪んでいる、人間も自然も元来一体であるはずのものという感覚があるにしても、それをいったん自分の趣味だというふうに相対化できないといけない。(略)
僕も大いに覚えがあって、それって異様に寂しい感じがするわけ。(略)
そういう理想像がなくなって、ただ社会がフェアであればいいということになると、それは言ってみれば、あの人がすごく好きというのがなくなる、ほんとに好きだった人がもういなくなって、一生会えないというようなことと同じ(笑)(略)
だけど、社会的公正を確保するなんて言うのは、まあ、激しい恋愛が終わって結婚生活で地味にやるときの内心のモラルみたいなもんですね。
おれっちは小学校のころいじめられた。出る杭だったなーしょうがないなーというところだが、基本的に人を信頼していると言いながら、一方で害を及ぼされることを当たり前のようにも思っている。
オメーらのことについて何も言わないので私のことにも関わるな。
みんなの正義が自分をいじめると思っているので、趣味、結構じゃないですか、それを自覚してちょっかい出してこないでね、お願い♪
自分の御旗が趣味であり、放っておかれる正当性を保証する。
マイノリティであれば、趣味が生存を保証する。
自分の考えを広げようとする人は大多数でいる安心感を得たいのか。
自分の物差しは正当性が保証されない。私だけの大事なものである。孤独感はないようなあるような、仕事で周りに合わせまくっている(?)から、孤独である時間も大切なのだ。
大多数であろうとする人は、周りと合わせる時間が多くて何が楽しいのだ?理解できない。いじめは快感だとはいうけどな。
とは言いつつ、真理を見つけたいと思う私は、正義を奉じたい私でもある。
間違ってないと思い込みたい気持ちはどうして生じるのか。正義は酔うよね。気持ちいいよね。
その誘惑がまずいものだと思うのは、単に視野が狭くなっているだけだという経験があればこそである。
実のところ自分は間違っているので、あとでペナルティを食らうであろう。
後々までこの快感状態が続く保証があれば、魂売るかな?
多少の不利益を被る覚悟で自分の意志を貫く、と、利益があるので自分の意志を貫くって、こうむる不利益は周りへの迷惑の少なさを保証するのであろうか?
合理的に考えると大虐殺なんて起こらないともいうかもだけど、信念のある/なし、どちらが生きやすいのか、
結構、おいらさんは銀英伝のセリフで、信念は生きるための方便だというのが引っ掛かっていて、生き死により重要なことがあるのかないのか、それこそ個人の判断だということになろうか、
マズローの欲求5段階仮説(ではないだろうが)、(ちょっとずらして世代論的にもなるだろうか)育った環境の欲望のスタートの記憶によって何に耐えられないかということは決まるような、
人と同じでない孤独に耐えられる条件を書いた仮説ってあったっけな?