ストア主義
- 作者: 竹田青嗣
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/12/01
- メディア: 文庫
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オレってストア主義だったのか(ドーン)みたく思ったので、読む誰が面白んだ的ではあるんだけど、掘り下げる。
この本全体の感想は、書きたいような、流れるような
ストア主義の哲学は、周りの世界からわずらわされないで自分の「心の平安」を保つことを真の幸福な状態だと考えます。自分は自分だけでちゃんとした私なんだというアイデンティティを支えにするのです。
だから他人の承認などはいらない。他人の承認などなくても私は私だと、ひそかに思っているわけです。
じつは、こうした態度はある種の挫折から起こっていることが多い。なかなか他人が自分を認めてくれない。そのため、自分の力だけで自分を認めようとするのです。
この態度は、人が自分のことをどう思うかを気にすると自分が相対化される恐れがあるために、あらかじめ他人の評価から自分を防衛している態度だともいえます。
私のモットーはニーバーである。
変えようのないことで悩んだって無駄。他人の評価なんて自分の変えようのないもので悩んだって無駄。
他人の承認を恐れて、というか、他人のモノサシで生きるなんて窮屈なことしたくないし。
もちろん、仕事場で他人と関係しているのでの余裕の発言だけど。
その点では「気遣いだけで生きていくことはできないし、「味わう」欲望だけでも生きていくことはできない」のと完全に一致する。
人間、他人の承認もいいけど、自分の生き様を貫く瞬間があってもいいんじゃねって思っている。
非国民って罵る側でいるより、罵られたほうが、後の世で、自分は内心反対だったというよりいいんじゃね。
そんな分かりやすいのちから見て正義なんて転がっていないだろうし、変人街道まっしぐらだろうけど、自分の中の大事なものを(今はまだはっきりと形をとっていないけど)育てていきたい。
勲章なんて墓の中に持っていくことはできないので、自分で自分の生きざまにどれだけ納得しているか。
相対化されたくないって、死ぬときは1人で、私が死ねば私の世界は終わるっつのに、他人の評価なんて墓場まで持っていけるわけでなし。
なんでもかんでも他人を拒絶するわけじゃないし。
それでいうと、ルールを変えるのには他人の同意も必要、とずらすと、結局のところ、自分は最終局面で他人と自分は対立するものと考えているのか。
仕事しているとねー自尊心なんて持ちようがないしね―支店長には楽しいばかりが仕事でなくて、壁を乗り越えるから楽しくなるんだって、今現在悩んでいたら、このまま悩みが解決できそうにもなく思っていしまうし、自分が社会に対してあんまり調和していないかなと思っちゃうよな。
今ん所、社会が正しくて自分がどうよと思っていたりするので、頑なにはならない(といいつつ先輩に誤字脱字が直らないとかダメダメだねっぽく直そうとする意志が見えないんだそうです。人には向き不向きがあると思うってのに逃げては駄目だと思うけど)
愚痴はいいとして、他人の評価を気にして生きるって、辛くね?社会で生きている以上、信頼は裏切りたくはないと思うけど、ある程度以上のものを差し出せと言われたら拒否る。
それこそ、自己中心で生きるのと、自分が折れて他人が楽しくなったら自分も楽しい的なもので、自分の我慢と他人との関係のバーターで、オレ、あんまし友達づきあいないかなと少し鬱になったりするが、こんなもしゃもしゃしたブログの話できる関係なんてその辺には落っこちてないし、自分の時間が大切っす。
喜ぶ他人の顔が嬉しいって、その他人は喜ばせて嬉しい人なのか的に。
喜び合える関係は少しづつ作っていかなきゃいけないんだろうとは思うけど。
「上から目線でいうわけではないつもりだけど、無理して理解するほどの話ではないよ。」なんて友達に言われたりしたらショックで寝込みますね。
俺は気になるから聞いているんで、打ち明け話をする関係まで進んでなかったのか的に。
(その次のツイートでそんなこと言っちゃうのぐらいの関心の無さを示している相手だしな)
頑張って積み重ねつくろっと(謎)
じゃなくて、ストア主義について、2,3冊読んでみたい気がした。結局、ストア主義でないと人生辛くなりそうなんだけど?
名を残せる人はほんの一握りで、評価を気にする生き方こそ、行き詰らね?
なんか読み損ねているのか?
って、俺って俺の考えが世間一般の考えだと思っていたんだけど、義務を果たさない人を見ているとイライラする的なことを言った人がいて、そりゃ生き辛いでしょというか、みんな生き辛さを抱えているのかにゃー
って感想ブログを読んで、竹田さんは気の合う少数の(?)友人を大切にする方針なんだろう?けど、俺、戯れることが目的の関係はあっても、嫌われるかどうかわからない球を繰り出す関係はなって、社会人になればそんなもんしょ?