真理が成り立つ条件はなく

(一部書き直しました)

風呂に湯がたまるまで時間があるので4本目更新。

白い鴉がいない、とは断言できない、だったっけ?

世の中で文句が出ないのは真実を言い当てること、間違わないこと。

間違わないと言えば、未来のことを百発百中当てる、だし、過去のことを百発百中当てることだと思う。全知。

無理無理である。

どんなこともすべてに当てはまる法則はないと思う。

物理法則だって、白い鴉でしょ?

GIFTは、何か私とは別のものが考えたものであるからして、私の考えではないので、批判されても(そんなことは一度もない場末ブログだが)、別に痛くもかゆくもないんだよね。

というのは、なぜそう思ったのか根拠が自分の中ではっきりしない、自分の思いつきに過ぎない自覚がある。

加えて、完璧な理論なんてないので、否定されてもしゃーないだろう。

完全な理論がないのなら、結局、人は信じたいものを信じるとしか言えない。

それで、10回に8回当たること、と、10回に2回当たること、どっちが偉いかといえば、当たる回数の多さ、とか当たる数は少ないけど当たればでかい重要さとか、一概に言えない。

理論を信じる判断基準は人それぞれだろう。その人の生き様が決める。

判断基準は人それぞれなのに何を信じるか個人の選択を強制する、信じることを強制できる権力性はドン引きである。民主主義万歳。

秋津も信じるけど、他の人に強制しようとは思わないので、私に強制しないでね♪と逃げ〜

要するに私はストレングスファインダーで着想が出るような人で、なんか確率はともかく法則を見出したいだけなんだけど。

真理の徒というには真理を信じていないのは、私の中だけの仮そめの真実と思いつつ、追い求めたいのである。

永久に正しいことはありえないけど、少しでも正しいことを信じたい。

ある異常体験者の偏見 (文春文庫)

ある異常体験者の偏見 (文春文庫)

でしたっけ?人の証言ごとに線を重ねていって、それが一つに交わる部分はないが、線が多ければ真実に近づくは近づく。完全に一致することはないけど。

(たぶん全然違うこと書いてます)

私は線の数の収集には執着を示す。ま、なんちゃって真理であると忘れたら大事になるぞと恐怖心を交えつつ。