歯止めがある=ベストを求めない=足るを知る
こないだの日曜のfinalventさんのやり取りを見て、
逃げられるなら不快な状況には怒りとかで対応すりよりさっさと逃げたほうがいいけど、全体的にというか一般的にというか、不快な状況に耐える耐性はあったほうがいい。怒り発散しても他の人に迷惑だし本人も傷つくし。
不快な状況で怒る、か。僕が不快に思うこともあなたは不快であると思わない、それはたぶん、僕が不快であると思わないことがあなたにとって不快な状況である、と等価である。
ま、お互い様だよね、と僕は解釈して、僕の怒りの沸点は高目である。
自分の不快な状況を変える力は何によって保障されるのか。
相手を無理やり変える権利なんてない。
というところで歯止めなのである。
現状を変える力を持っていたとして、それを行使しないことを決意する。
ベストを求めないことである。
極端を考えるからして、みんな自分を止められないときに、自分の不利益を良しとする心構えである。
とした時に、橋本治ってやっぱり偉大なんだよね。私の先を行く。
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「負けない力」であって、「勝つ」ではない歯止めがあるってことである。
それで、あまりにもあっさりした結論ですが、「なんらかの不安状態」を抱えた人間は、「勝つ」という過剰がなければおさまらないということではないかと、私は勝手に考えます。
って治やんの文章は切り取りが難しいのだがって、方向性を変える。
自分の置かれた状況が不当である、と思わなければ変えようとする意志はない。
足ることを知っていれば、欲望しなければ、変えようとする行動は生まれない。
良し悪し、だが、自分の中の評価基準をどう下げるかが歯止めになるのか。
コーコちゃんに失う怖さは分からないと書いた秋津君ですが、自分の在り方の評価には生まれた環境も影響してそうな、それが教育ってもんでしょうか。