日本人論

最近、TBを張りまくったら、日々平安録の人の面白い記事を紹介してもらえるようになり(?)、フンフン読んでいます。

 日本の組織は恩田木工的に運営するとうまくいく。あるいは過去にはうまくいった。そして、そういう共同体的運営の中では息苦しく感じるひとが、日本とは何かと考えるのである。日本の中で何の違和感もなく生きているひとは日本人とはなどと考える必要はない。日本人論がこれだけ多く書かれてきたのは、ものを考える人間にとって日本は生きづらく苦しい国であったということなのである。
http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20091226/1261835653

引用は内田樹の日本辺境論の感想です。

前半には大きな物語の事が書かれてあります。んー私は息苦しいとは思っていない、黙っていれば見逃される、俺の言うことに構うな、あなたの事も構いません、で対処できるので(あるいは内心の自由って素晴らしい)、日本人論にまで発展しません。

考えることが楽しいので、それで日本を変えてやろうとか思ってないし。

それよりか気になるのは、

この「日本辺境論」の主張の要約は以下であるといって梅棹忠夫氏の『文明の生態史観』の一部を引用する。要するに、日本人は文化的劣等感をもっていて、ほんとうの文化は、どこかほかのところでつくられるものであると思っている。それは大文明の辺境諸民族のひとつであるという自己規定に由来する、というものである。

 梅棹氏のこんなに優れた説が忘れられているのは、「日本についての本当の知はわれわれのところではない、どこか別のところでつくられている」とわれわれが思っていて、すぐに別の新しいものを探しはじめるからだ、と。梅棹氏の説自体が梅棹氏の論の忘却を説明するというロジックである。

うーんうーん、おいら、80年代生まれ、スニーカーをドラックストアの980円で買うようなことはしない。しかし本当の文化っていう設定をしているかな?

2万ぐらい出せばかっこいいスニーカーも買えるが、お金とカッコよさのバーターで8千円の半額ぐらいを買っている。あ、ズレた。

どこかに真実がある、真似しようと、自分で試行錯誤して創りだそう、の差かな?前例のないことのチャレンジャー度?

ああ、私も竹田青嗣とか仲正さんの本を読んで、今までの歴史は踏まえてみたいとは思う。

だって精緻だからね。私の思い付きのいい材料になる。

神は死んだってよく分かっていないけど、価値観の多様化の事?

価値観が多様化になって何が悪いか、隣の人の考えることが分からなくなって、また、自分も肯定されることがすくなくなることである。

共同体の崩壊、孤独、というところで、宗教なんて怖くない、んだけど、価値が多様化して、何が困るのか、改めて言われると、もっと突っ込んで考えてみたい。

善きこと、に対する動機付けがなくなって?

指針がなくなって、なぜ仲良くできるのか。暴力装置は国家だけの物で?とか、

竹田青嗣の本を読んだのが1,2か月前か、読んだときは何か種があったけど、忘れた。また読み返そうというか、今日は先月から買っている本の更新もするかな?だいぶ散逸したけど


[追記]
しまった、リンク貼ったら自動トラックバックだ。うわ、またTB打っちゃったよ、ちょっと恥ずかしい