自殺したくなる時がある

昨日、外回りをしていると、支店長から電話がかかってきて「何をしている!JAとちゃんと調整しているのか!」って、某JAの私の関係する限りで一番偉い人から電話があったらしい。

えええ、なんか私のしたことと違うし、と、昼休みに入っていたので、(JAにいないことは知っている)、待機して、とお腹下すし。

仕事が上手くいかない時、私、死にたくなるんですよね。だらだら生きているけど、生きることに対してなんかいいことあったっけ?

投身自殺か、首つりは嫌だな。事務所の5階からかな。(本部は当然屋上から身を投げた人がいる)と妄想しつつ、JAに行ったら、支店長に言われたことと違うし。帰って報告すると「大人の対応」だそうで、まあ良かったけど。

それにしても、死にたくなるんですよ。今まで死んだ実績はないから大丈夫だと思うけど。

宮台真司の頑張るにはホームベースが必要説がかなり説得力を持った。

生きる意味か。私は仕事ができる人じゃないので、仕事で上手くいき続けるには、的視点は持てないのと同様に子供を持ったら生きる意味ができるというのも伝聞だ。

しかし、子ども、作る気あるのかというと微妙な線だったけど、生き続けるために作っておいた方が無難という気がした。

自分が必要とされると生きる意味ができるのか(謎)ユウタロスさんが死ぬ前の楽しい思い出っぽく書いていたし、人類が脈々と続いてきた要因で大勢の人が繋ぐのに躊躇しないものであるのだろう。

必要とされること、と孤独か、とも思うのだ。誰からも必要とされなくなったと思った時期を橋本治が過ごした(シンデレラボーイシンデレラガール)のは知っている。

考えが深まらないのでずらすと、うちの管内も40代独身農家さんは教育費とかいらないし、現状維持で収量をあげようという気概がないのよね。


と、自分語りに入りますが、そんなこんなしていますと、なんか頭が、この感覚は大学でいじめのターゲットにされそうになった時とか就職してつるし上げられそうになった時、の感覚だ。

私の頭は普通連想2つ回路なのである。

「秋に美味しい果物があったよね」とふられると「リンゴ」→「長野、青森が産地」と2つパッと連想して「長野と青森と味の違い分かる?」と返したりして、会話の通じない気味の人なのである。

(ちなみに外国雑誌のレフェリーをしていた大学の研究室の教授は私より連想回路2つ進んだ思考をしていた。これ、連想するのは簡単は簡単だけど、目的からずれずに連想し続けることってすごいのよね)

連想回路は野放し気味なんだけど、ピンチになると、メモリが広がって相手を説得するという目的の下に思考を制御するというか、守りには強くて、決定的なピンチは何とかできると思っている。

なんとかできるから、のんべんだらりとにゃほにゃほこの年になっても締まりないんだけど、今朝起きても、メモリが広がったままなのである。

支店長には「秋津を陥れようと思ったら簡単だな」と言われた。昨年の8月ごろ、人を悪く思う思考回路になりたくないと書いていたんだけど、秋津アラフォー近く、保身のためにこれから性悪説で行動します、かな?