銀魂が最終章?である。

悪い人、を持ってきた。

悪、悪、今時悪か、説得力あるのか、気になりすぎてネットで最新情報を集めていたのが3ヶ月前か?

今日のデートは「バケモノの子」出会ったのだが、敵対するものか、である。

正直、私は悪について考えが及ばない。

私が基本的に(大事なことは)黙る方針で今まで何とかなったのは、それで見逃してもらえるぬるい環境だからである。

うちの支店長とか前の支店長とか、ぼーとしたようで、関係機関が何を求めて、言質を取られないような言葉の使い方とか、私からしたらマジックつーか、偉くなれないことを痛感させられるので、研究所への異動に向けて勉強を始めたのだがって。

で、finalventさんの悪についての情報を思い出して検索してみたら、意外と厚かった。
パソコン遠隔操作事件に対し

私がこの事件にキリスト教的な意味での「悪」を見るのは、善なるものを誘惑して貶める悪意の実在を感じ取ったからだ。  冤罪は恐るべきことであるが、知性を伴った「悪」の顕在もまた恐ろしいものだ。それに向き合ったとき、一人の市民の日常生活の経験はどう反応するのか、自分はこうであったというのを記しておきたいと思ったのである。
 
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/05/post-7a2d.html

この事件の被告について言えば、最初の遠隔操作が、どっちかというと運良く行きすぎて増長してしまったということがあるが、プログラミング能力もなく、悪を成すには運が悪いが、それでもこの被告のように、平気で人を騙す人々というのは、市民社会のなかに一定数存在する。

 この事件の被告について言えば、最初の遠隔操作が、どっちかというと運良く行きすぎて増長してしまったということがあるが、プログラミング能力もなく、悪を成すには運が悪いが、それでもこの被告のように、平気で人を騙す人々というのは、市民社会のなかに一定数存在する。私たちは、そういう人々に向き合ったとき、「こいつキンモー」という嫌悪感を抱きつつ、生きている(略)

ちょっと強引な教訓を引き出すようだが、邪悪な人間は自己愛があっても自己嫌悪はあまりないのだろう。
 私たちは普通に生活していれば、たんまりと自己嫌悪を抱く。そして邪悪な人に接しては、たんまりと嫌悪感を抱く。
 しかし、それが人間の正常というものだし、そういう正常が市民社会を支えていくんじゃないか。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2014/05/post-1d21.html

finalventさんの悪は、

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

で書かれるものを含んでいるらしい。

私も中学生の時に読んだが、全く記憶にない。

という訳でまだ課題図書が増えたぜ的備忘録でした。(だってデートから帰ったら、カウンター回っていたので、アホなことを書いた後だと嬉しかったんですよん)