ペトロニウスさんには敵わない(2)

今朝、ガッチャマンのことを書いたら、資本主義の次か、となったわけです。

お金の交換機能というか、一物一価が引っ掛かる。

本屋、金高堂本店で、買いたかった本がなかったのに、3000円分買わなかったので駐車場ただ判子がもらえないとごねていた客がいた。

いつもは買っている風味ではあり、次回以降買うのをやめるのか、それともここで駐車場ただにしたら他の客が倣うのか、であった。

顔が見える商店街なら贔屓するのもありだっただろう。

すなわち人によって対応を変える。

商店なんて、値段はスーパーに敵わない非合理であるわけです。

そこを人のつながりで買い物する。

その一方で、客が買いたい商品をそろえるのか、営業努力、向上心を持つのに、競争って必須よね。

地域の金を外に出すのはまずい一方で、外の脅威を感じる接点をもつ。

通貨的なものは、二つの区切られた集団で制限を受けつつ、交換されるのではないかなーとか、まあ一記事上げようとしたのを略しまくりで書いたので訳わからないと思うけど、と思っていたら、

ペトロニウスさんが

なので、日本的な現代の表現では、大都市と地方という風ですが、もう少し抽象的に言うと、「グローバル経済にリンクしたメインシステム」と「自然環境に限りなく接続されたサブリンクの自立共生型システム」の二つのコミュニティが用意されていくのではないかと思うのです。それで、これは緩やかにつながっているので、どっちに行き気もできるし、それをバランスよく生きるライフスタイルが、50−100年後ぐらいには、一般的になっていくのではないかと僕は想像します。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20150818

ペトロニウスさんはあっさり二つの集団を仮想していたし、動機づけというか向上心がキーワードのなりかつ、私の妄想より枠が広い。

あー私のは妄想で、ペトロニウスさんは根拠があるでも可。

自然か、その視点を私の妄想に接続させると???自然食の本、買ったような、買わなかったような、探してみます


(追記)
ペトロニウスさんめっさかっけーと興奮してしまったので、私のアホな思い付きを書きなぐってしまった(恥)

自分は自分以上になれないので、もうそのアホな部分を認めるしかないすよね。ふぅ。