考えるということ(その2)もけもけ編
- 作者: 竹田青嗣
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1994/09/01
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を読んで、うおーーおもれー、自分と思考回路が異なるということはヒントがたくさんだな、と思って、久々に、もけもけしてみる。
今日はとりあえずの前提編で終わりそうだけど。
finalventさんは自分の書いていないことを、本音だと断言されて、責められることがあるらしい。
分からなくもない。
橋本治が人生相談で、書かれていない前提を読み取っていた。
たくさん選択肢(論理)がある中でそう言う結論になるには、途中がすっ飛ばされている文の中で、わざわざこの選択肢を選んだよね、と喝破する。
論文は飛躍があったらダメなんだそうだ。
ある事象K(結果)から読み取れる原因はAとBとCがあり、BとCは書いてあるけどAが書かれていないのは駄目じゃね、(なのか)
自分はAのつもりで、Bしか認められなくて責める人もいるだろうな。
原因A,B,Cをすべて網羅するのは狭い集団に所属していたら無理だ。
身近に新聞を読まない子がいるんだが、新聞を読んでいたらE→S(新聞常識仮)と流れているのに、なぜかE→I(私仮)と飛ぶ。
なぜそうなるのか、論理が繋がっていないので、ものごっつ、話について行けない。
まあ、どうしてそう考えたのか興味津々なのでいいんだけど。
私は新聞は読んでいるけど、偏ったネット民なので、E→Sじゃなくて、E→N(ネット常識)のほうが起こる確率は多そうだな、と思ってしまってそっちで書く。
新聞派には読みにくい文で、結局、決まった集団の中で起こる確率の高いことを繋げて論理にしている。
A,B,Cの場合をわざわざ書かない。
が、と、とある集団の中ではNで流通する、しかし、それは本当か、私はIの可能性も捨てきれないので、そっちで検算したい。
私の人生ではIが多く起こったし、離れた集団でNが起こっても、私の半径3mではIなんだ、と自分なりに考えて、そこから解決策を編み出したい、気がする。
自由、だけど、人には通じない。以下、Sってみんなが言っているけど、本当はI派じゃね、と王様はロバかもしれないし、
というか、でも私なりのIに拘ると、「愚者は経験から学び、賢者は歴史から学ぶ」という私のお気に入りの言葉と矛盾していしまうのである。
あはは、私は多少実感と合わなくても統計を信じる、のか、嘘をついていると決めつけるのか、迷うんですが、
考えることは孤独、と言ったのは治やんだったか、誰とも違う私の経験から紡ぎ出せることは、もしかしたら、みんなが気づいていない事だったりもするのか、希望はあるんだけど、普通はそんなこともなく、自分が変である(と穏やかに書いた)ことを認めるのは辛い。
A,B,Cを揃えた文を書くのは面倒くさく、気違いのIでもいいかと思う。
そもそも、人に通じる言葉を紡ぐ場所は必要だけど、いつもかっつも、人に合わせることもなし。
もけもけIを追求して、未知なるXを考え付いたときはうれしい。私の欲望は私の欲望で、みんなと同じ欲望ではない。
歴史を追求するのは、仕事の場で、私だけの意味を追求する場があっても、寄り道だけど、選んで私をとるあえて感があると、人の物ではない私の人生、になるのかとふと思ったり。
ただ、自分はIだけど、Nや、Sになる可能性はまあそんなもんで認めて、それをネタに責めるのはお下品かのうとは思うのであった。