勉強の仕方二種類

「何故かが分からないと先に進めない子供」と「役立つことが分からないと先に進めない子供」

http://yaraon-blog.com/archives/63789

という記事を見つける。正確にはその元ネタのツイッターまとめを読んでいたんだけど、ツイート主は前者なのかな。私とちがったんだけど。

ちなみに兄弟は前者で、私は後者である。

哲学チックなことをしている割に私はどうしてなのか、気にならない。

人の言うことは鵜呑みにして、前提にして、それがどう利用できるか考える。

というか、真理が知りたいというくせに、事実を並べられると興ざめというか、興味全くナッシング。

選択肢が見えないと駄目なのである。

なぜ空が青いのか?と言われても青いんだからしょうがないじゃん、別にどーでも、となる。

しかし、なぜ空は緑でなく青なのか?と言われると、食いつく、かな?

その二者の変数は何だ、となると気になる。

「役立つことが分からないと先に進めないのか」と言われると、知識は使いこなすためにあるのである。

その場面ではどの知識を使うかの選択肢を増やすために勉強するのは楽しい。

知識は使う場面が想定されないと、ただの文字の羅列なので、覚えるのが辛い。

論理の流れがあって、XがAになるとき、XがBになるときの分岐点を覚えている。CだからDとずーと同じ論理が繋がっているのは覚えられない。

そもそも論が使うときに、どうしてそうなっているのかが分からないと代替方法が考えられないので、代替の可能性を示されると、どうしてそうなっているのか、考えようとする。

ブログでは自分がどうしてそう考えたのか、文字にすると不思議な感じがするので、突き止めようとはするんだが、そう考える/考えないの選択肢が見えるので前提を解体しようとする。

ちなみに、閃きの感覚、というのは右後方70センチ足元当たりになんか詰まっている感じのことである。

ブログを書いているときにたまに生じる。二つの概念があって、概念が離れているときの概念の感覚の差、というのだろうか、二つの感覚を繋げようとしているときに生じるのだと思っている。

ブログを書いているときにって書いたけど、ボランティアで、感想を書けと言われたときにも生じた。

なんだ?何も考え付かないのにと思って、感想は4分ほど考え込んだのだが、4分後にパチッと離れたものがつながったので、一応、感覚と結果には因果関係があるのかな?

ちなみに、大学時代は、問題を考えていて長い時は3日ほどずっと考え込んで、頭の中の情報が平らに並べられた時に、閃いたりして、今の閃きの感覚とはちがったのだよん。


と書いて、私はやっぱりどうしてそうなっているのか気になる子で、イコール「何故かが分からないと先に進めない子供」かな?

先に進めないこともないしなー忖度能力はそこそこあるというか、どうしてかが暗記で済むのは、試験では例外パターンをあまり出さずに、公式の当てはめたら済むことだからって、

公式に突込みビリティ発揮して例外とか考え込んだりしないのよっと。