寄生獣と共存可能な文化はあるか

言語の話で、書いていたけど、ズレまくって文化の話になってしまった。


私は言葉の使い方が変だと言われる。

喜び50%、悲しさ30%、歯がゆさ20%の言葉があったとして、喜びの時に使わなければいけないのに、第三意ぐらいの歯がゆさを主に表したいときに使うからだ。

あんまりよろしくないんだけど、ついつい無意識的に奇をてらって言ってしまう。

みなさん、結構自然に言語を使っているんだけど、第1意と第2意ぐらいは含んで使っているような感じだと思うな、傍から見れば。ここを間違えると変な顔をされるラインがある。

いや、説得力ないけど。

で、言語によって、第一意、第二意をどのくらい含む言葉がいくつあるか、なんだけど、考えると思うで微妙に使う場面が異なるというか、

母国語でないと表現できない世界があるっツーか、

喜び50%、悲しさ30%、歯がゆさ20%の気持ちのパラメーターを多少イジって、喜び30%、悲しさ60%、うっとおしさ10%の気持ちの差が表現できたとして

人に伝えることができなかったら意味のないことなんだろうか。

自分の気持ちを正確に表現できないと苦しいのか。

私は口が上手い方では無いとはいえ、幸いにも誤解されたとかで揉めたような思い出もなく、よく分からない。

言葉の使い方は変だと言われるけど。

複雑な世界を表現できるのが文化だとして、複雑な方がいいのか。

美味い料理の微細な差が分からないとして、分からない大多数は駄目なのか。

だれにも分からない世界があって、誰にも理解されない世界があって、誰にも欲されないから価値がないのか。

商業的にはペイしない細かさのある昔の権力者の建物。

訳の分からないなりに胸を打つものがあり、あなたが感動したからえらいわけでもなく、結果的に胸を打つこともあっても、裾野には無価値なものがたくさんあるんだろう。

誰にも読まれない本、200年間誰にも読まれない本があったとして、下らないものを保存しておける余裕ってのは確かに誇っていい文化の爛熟さかもしれない。

NHK大河の「炎立つ奥州藤原氏の話で最後の4代目のところまで来たんだけど、文化で武力に勝つ、んだか、いや、父がこれ見ていて、最終話の最後4分だけ覚えていて、敵わないことを知っているんだけど、と、

権力者に保護される文化かと考えて、

寄生獣の映画前篇を見て、力のあるエイリアンの癇に障らないから生きることを許されるって夫婦生活でこれをやったらアウトと言うか、

人間を殺せる力を持っているのならば、なぜ人間を殺さないのか向こうの気の持ちようで殺される可能性を排除できなくて、人間がエイリアンを皆殺しに走るのはしょうがないのかと言うか、(後篇見てないけど)

結局、理解できない他者を包容できるのは、確かに文化の力かもしれないのか?
それは殺されない事実の積み重ねでできるものなのか、ある程度は殺される可能性もあるが、殺されない可能性の方が大きく、そのメリットが大きいことが了承されているのか、

未知であることが既知になる、その過程を経なければ殺し殺されもしょうがないかもというか、

ある一方からのルール適用が現実ではありまくりで、自分が殺される可能性がある相手を生かした清盛は愚かとは言われるかもだけど、歯向かう可能性のある相手をすべて排除するイエスマン政治は、時勢に乗ることもできず結局死んでしまう。
んーでも手塚治虫は新人にも本気になっていたような、芽のうちに摘むのが権力者なのか、国際政治はよく分からない。

ある一定の人しか表現できない世界、理解できない世界があったとして、亡きものにされないには、ってどんどん考えがずれていったんだってばてば


[追記]
無駄を蓄積できる余裕ってのは誇れる。

自分の意に沿わないものを生かしておくのは賞賛される?

自分に害になりそうなものまで生かしておくのはバカかと言うと、

将来、害をなすのか、現時点では分からず、気持ち悪さにどう耐えるのか。

誤解は解く努力はすべきなんだろうけど、虐殺の記憶がある民族の気持ちは日本人はよく分からない。


[追記の追記]
気分次第で殺されるのは嫌だ。

ではどんなルールが適用されれば納得するのか。

一貫性のあるルール(契約)と言えば西洋人で、日本人の融通無碍さ?が批判の対象であったな、30年前は。

では、アラブがどうとか、イスラム教徒は民族気にせず一括りだったけな?この辺、持ちネタがないので印象論にもならない。

約束の履行が保証されるには、神さまか?

てか、信用は何によって醸成されるのか