責任を負う

ちーす、漫研界隈で、「脱英雄譚」というワードがあるそうです。

要するに、一人のリーダーにどこまで任せるのか、一人一人が立ち上がろうという方向で来ていたのに、最近ではやっぱりリーダーが背負います、みたいな作品も見られるとか。

いや、4月の物語三昧ラジオ、聞こうと思ったのに、wifiの調子が悪くて聞けなかったので、また方向性が変わったということになっているかもしれませんが、それはともかく

ままれさんが41歳だったことに少しほっとした秋津君です。

「自分が背負いきれない責任を負う」ことに対して、想像することができる人は、社会の中堅どころだったんだなって。

自分、焚きつけて、新しい機械を入れてもらうことになったんですが、大丈夫、今まで失敗した人はいない、しかし、細かな調整が必要で、自分の言うことを聞いてもらえるか、とか、

そもそも自分が当てになるのか、とか、自分の負えない責任にぶち当たったのだ。

やれるだけやる。最終責任は決めたその人にあることは分かっていてもプレッシャーである。

出世したい人はやっぱりどこかネジが緩んでいる人なのだなーとしみじみした。

というか、私も、政治のことは興味がない、といっているように、どっちかといえばお任せ型なのである。

良きに計らってもらって、別に不自由した思い出はない。

ポリタスとか見ると、日本縮小は避けられない、今ならまだしも選択肢はないでもないが、少子化を止められなかったように、後になるとどうにもならない。

とはいうものの、こないだの選挙で、そりゃ、見捨てられる自治体では、見捨てますとは言えないわな、で選択肢がなかったのであるが。

要するに国は税金の再分配機能なわけで、再分配の優先順位はどうするのか、だれが決めるのか、任せっぱなしにしていいのか、と言われて、

議員のレベルは住民のレベルに反論の余地はない。

日本列島改造論、読んでみたいかな。何の優先順位を下げるった書いていたのか?

今、郵政なんかちんけなものじゃなく、日本の将来像を描ける政治家はいるだろうか。

任せきりでいいのか。手を挙げる人はそもそも責任を分かっている人なのか、疑問符がついて、

あー今は親分を立てるいい子分もいなくなった時代だと聞いたな。

責任を負う/負わせる、ことについて、結果が分からなくても変わらなければ、賭けなければ、いけないときはある。

性格診断とかで、人の意見を聞く人か自分で決める人か、選択肢で良く出てくる。

自分の考えには限りがあるので、人の意見は聞く。可能性を吟味してから、自分で決める派である、私は。

可能性はあって、でも確実な未来はない。どれに賭けて、状況を打開するか。

自分に知らないことは、分かっていそうな人に賭けた方が分がいいようにも思う。

正解のないことである。

うーん、まだ自分は家庭もないし、責任については考えが深まらない。

負わされた以上、引き受けないことはあり、愚痴もする場所は限られる。

避けたい状況であるが、誰かが引き受けなければいけない。貧乏くじを引く人生はあり、それが一回しかない人生のときもある。

責任を負うのが怖いのは、他の人の人生には責任を持ちたくないということで、至極ごもっともだ。

失敗して責められたらいやんよ。

同期のM君は、リーダー型のくせして、仕切るのをものすごく嫌がる、困った君なのであるが、

やっぱり、私はリカバーできない決断をすることに対して想像力が働かない。

中学受験の時「次に気をつければいいじゃん」が口癖で「本番で失敗したらどうなる」と塾講師に突っこまれたのであるが、本番で失敗しても人生は続く。

希望のことが起きないのが人生であり、後指差される人など大勢おり、自分が望んでその列に加わるのは嫌だとは思うんだが、リスクがないところにリターンはない。

細く長く生きる人生も大有りだろうけど、毒にも薬にもならない人、も悪くはないけど、友達もいない。

(て自分これだな)

人に任せる/自分で行うの差は、どっちがより結果に納得できそうなのか、が基準になる私は、やっぱり責任が分からない。