神さまとの取引

前回の記事は、動機付けの部分、自分の物差しと世間の接点というか、というと、軽くなるな。

いや、評価されない部分が自分の生き様だろ、的な部分というか、市民の生き様というか、モチっと掘り下げたいかな、と思いつつ、今日、彼女と見たのが

綱引いちゃった [Blu-ray]

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で、考え込んだのでそっちに流れる。資本論を書ける日は、また2回は伸びるぜ。

で、大分市給食センターではたらく7人が、綱引きで県優勝したら、民間委託を考えると言われて職の確保のため、綱引きで頑張るのである。

が、給食センターって、夫の連れ子(夫は死亡)がグレタだの、とーちゃんが怪我して土木の仕事クビになって、東京の大学生の息子2人の仕送りと住宅ローンでパート掛け持ち過労で倒れる、主人公の市役所員は母子家庭で、乳飲み児のときとーちゃんがガンで死ぬけど、未認可の薬使いたくて、親友が黙って金を貸してくれただの、うん、確かに生きるってそんなことだ。

オチが付いた問題もあるけど、恋愛の結果、ローンその他、宙ぶらりんで終わる問題もある。

給食センターは結局潰れるし、一回戦で善戦するところで話は終わって、エンドロールの写真は参加記念である。

神さまってそんなもんだよねというか、finalventの日記で3年ほど前に書き込みをしたことがある。

神さまの存在する条件とはなにか?

根拠もなく、いないというのも、いるというのも、根拠が無いので宗教である。

じゃあ、どんな条件付きで信じるかというと、自分の努力と結果が見合ったとき。

現実に生きていて、そういう取引がうまくいくことはあまりないけど、努力して報われないなのもなんだなという、ぼちぼちでんなあみたいな部分で、適当に幸運があるといいなあくらいには、日本人は神様を信じているというわけです。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20120114/1326505197

まあ、ラッキーだったら報われるけど、報われないことも多い。

結果が分かっているから努力するのか、自分がしたいから努力するのである。

というか、「なぜ私なのか」病気すると、この世に法則なんざないことは身にしみる。

ただ、私もラッキーな部類なので、苦労は買ってでもせよという言葉を信じて、あえて地雷を踏んでしまうというか、労組の書記?しますよ、同期の某はそれを嫌がって労組に入っていないけど。(まだ言われていないけど候補者名簿には乗っている自覚がある。皆嫌がるので、引き受けてくれるなら性格の瑕疵は余り問われない)

いや、それならまだかわいいな。橋本治のピーマン白書で『「厳しさを知りたい」という甘いこと』とあった。

うん、苦労はしたいです。何もないより楽しいやん。

現実は、先輩が調整に失敗して、悲惨だな、自分が係でなくてよかったという程度で、子供がグレたらいやん、だよというか、それが私の人生か。

よくSFで、嫌な経験をしなかった彼は、現在の彼ではないので選ばない、とあるような、

私の病気でも、27ぐらいの時に、病気しなかったらもっと私も違っていたのだろうか、悩んだけど、

可能性だけは無限大にあって、現在の一点ではなく、ミスコン世界大会の美女に告白される可能性と自分が病気しなかった順調な人生は等しく、想像の産物でしかない。妄想。考えるだけ無駄。

私の人生を引き受けること、と、自分の物差しを持つことは結構、関係ありそうな気がする。

他人が憧れるような自分ではなく、他人が蔑むような自分でいかに自尊心を持つか。

やりたいことと、できることと、期待されることはズレて、他人の期待と自分の能力、あるいは意欲はズレて、うーん、自分の物差しで生きるのも贅沢な話だよね。

より向いている仕事はあって、でも1流にはなれない今の仕事だけど、経験値を積めば3流にはなれるかもしれない。

結果なんて私の範疇にはなく、自分がどう生きたいのだけが自分の選択肢だ。

ちなみに本当に追い詰められたら、動くしかなくて、悩む時間の無駄が持てるわたしの贅沢さというか、

と、だんだん本店に行って苦労しなくても、今のところでそこそこがんばりゃいいやん、と現状維持に傾きつつある秋津くんでした。ほしゅほしゅ。美味しい料理を作って食べて、散歩して、本を読んで、傍らには彼女、むーにょ。でも仕事たのしーし。


(追記)

ジーと考えている。「綱引いちゃった!」、連れ子に、自分は子供が産めない体だというお母さんは、あれは本当なんだろうか。

脚本が、これだけ言えないと子供が素直にならないとして本当のこととしていれたのか、お母さんの嘘だったのか。