どういうことが「考える」か

finalventさんのツイートに触発され、「考える」とはどういうことが考える。

ちょっち斜め方向から入っていきます。

考えるというか、未知のことを頭に入れて、それからそれを思考を介して産出するときに、学習の基本があるというか。

人間の脳は、生存用にできてるから、不要なものは覚えないし、無駄な思考はしない。

私の前任者とあって話すのに、事柄の整理が凄かった。

産地を変えていくにはどうしたらいいのか、というのが、農業指導員の究極の目的だが、それが筋道だって頭のなかに入っている。

これをこうするのには目的1があって、それに触発されて目的2が出来て、ズンドコズンドコ。頭の中が整理されている。

ちなみに私は、忙しそうだがなんで忙しいのか分からない(無駄な仕事作ってますね)型である。

私はブログの「考えごと」として、お題を設定して、連想ゲームをしてどこまで思考が広がるかを試すのが好きである。

私の思考の特徴として、現象があれば、「・・・」なにか閃かないのか、じっと考えて思考の展開が遅いし、無駄が多いというか、場当たり的に考えてしまう。

頭のいい人(前任者)はスキーム的だかシステマチックに物事を判断しているらしいのだが、私の頭の中はクモの巣状に物事が格納されている。

一応、薬の量が増えていた時は、考えるときに、消防の人のような方針を立ててから物事を考える手順は出来たのだが、逆に物事の繋がりが堅固になっていて変わった発想ができなかった。

ちなみに大学の卒論は研究室史上2番目に薄かった(病気でドタバタしたため)。

ステマチックに考えるということがどういうことかわからないので「考える」ということが分からないのである。

昔からその手に話題には関心があって、ブログを始めた頃に「飛躍する文章が好きだ」というお題で、

「原因と結果の法則」という本の題名を知ったとき嬉しかったと同時にちょっとがっかりした。その頃、考えるということは、過去の経験、原因と結果から演算される確率と、そうなって欲しいという意思、願望がミックスされて出来ると思いついたからだ。

「原因と結果」がキーワードであると考えた人が他にもいるんだなと思ってがっかりした。(本の内容は私の考えとは全然関係ないのだろうが)

相手を納得させる文章は、過去から演算される確率論をふまえて、それが起こる可能性を順につぶしていって作られると思っている。

自分が学生時代シェアルームをしてうまくいったからといって、シェアルームが上手くいくと考えるのは早計だ。他の人が上手くやった確率にたまたま自分がうまく言った事例を突合せ、上手くできる確率を導き出さなくてはならない。

でも、私はたまたまであれ自分のルームシェアが上手くできたことを一般化して文章を作りたいと思う。ときどき。

私は飛躍する文章が好きだ。自分の経験から原因と結果を推測し、導き出された確率から文章を作りたい。自分が正しいと考えているわけではなく、自分はこう考えたと、言えるのが楽しい。また、飛躍した文章を読むと、その人の過ごした人生が透けて見えて楽しい。

リアルで自分の考えた文章を書いたことは一度しかない。自分の考えが思い込みに過ぎないのは知っている。

でも、私の考える確率と、顔の見えるあなたの確率を掛け合わせて一般化し、世界の輪郭を作ることに対して憧れがある。
http://d.hatena.ne.jp/akizu/20090226/t

この前段に論理について書いた文章があったはずなんだけど、どこか紛れた。

「Aが起こるすなわちBが起こる」という繋がりが論理だと思う。

で、このAとBに何をぶち込んで、AならばB、あるいはAならばBでない、類似点、相違点を探していく。

ただAとBに代入する言葉を入れ違いして考えるというのは、単に学校的暗記学習のような気がする。

でも、「 ならば 」というAとBのつながりを示す式の拡張性を考えて、その広がりを増やすことは出来るんだろうか。

20%のAならばCが50%起こる?よく分からない?

あるいは「Cという点で同じ/異なるので、DとEは同じ/異なる」というパターンを増やすことが考えるということなのだろうか。

私は思いっきりこっち派なので、それ以外の考えるということが分からなくて困っている。

「希望=理不尽な人生で楽しみを見つけること」って強引にも程がある。他の可能性は幾つもあって、宮台真司の文脈だと、「希望がない=閉塞感がある」だったよーな。いいけど。

と書いて、自分の今まで信じたいたことがひっくり返って、それでもそれはアリだと思うことが考えるってことかな、私にとっては。

で、それはAならばBだったことがAならばCもありうることが分かったってことなので、やっぱり「考える」ことは起こることの確率が高まった、AすなわちBの論理が成り立つ範囲内なのだろうか???


[追記]
わかりにくい文章だな。洗練されていない。意味わかった奴居るんだろうかと、落ち込みつつ、

はじめての哲学史―強く深く考えるために (有斐閣アルマ)

はじめての哲学史―強く深く考えるために (有斐閣アルマ)

を読んでいたら、やっぱりこっちの方が深いなと、何と比較してたんだ自分。

とりあえず、アリストテレスの論理学、午後、本屋で手にとって、家にあった気がしたので元の場所に戻した。

しっかし、哲学の方に行くのもなー解決方法のないことを考えてっと、しかし自分のブログは好きなことをするのが方針か