母への詫び状(藤原咲子)

母への詫び状 - 新田次郎、藤原ていの娘に生まれて

母への詫び状 - 新田次郎、藤原ていの娘に生まれて

さっちゃん、こじらせ女子(と意味も分からず使う)

母は「流れる星は生きている」という戦後ベストセラー作家で、

それは、満州引き揚げ体験を書いたもので、乳児だったさっちゃんは12歳の時にそれを読み、

母親は自分を捨てようとしていた、と思い込み、

誤解は40数年後に読み直すまで続いた。

実は「流れる星は生きている」はフィクションだったのである。

人とうまく関係を結べなかったさっちゃんは、50数才になるまでのこじらせ人生の原点は誤解だったことを知る。

母親は自分を生かそうとあらん限りの努力をしていた。


トラウマ体験で人生が決まるのか、といえば、二人のにーちゃんはそうでもなく、

さっちゃんの文章は文学ではあるが、盛り上がりの焦点が何だかリズムに乗っていない。

お母さんはまだ生きているが、なんというか、取り返しのつかなさというか、

他に生きる道筋はなかったのか。

他に生きる道筋はなかったのか、私の人生を考えて、流れるままに生きてきた。

いつかいじけるときもあるのだろうか。

病気で病院に入院しっぱなしになって、運命を呪うときもあるんだろうか?

(少しずれた)

私は私でしかない。

誤解が生じることはよくあることだし、一回二回の挫折で、生き様は変えるべきことなのか。

希望は、捨てたくないが、そもそも、希望とは何に対して幻想を持っているか定かではない。

(私は愛されているってことかな)

愛されていないと思い込んで、それでも前向きに生きられるのか。

誰の役にも立たなくなったとき、それでも、慰めがあればよいのだが、

と、さっちゃんの苦しみは読まなきゃわからないとです。

続編出ているな

チャキの償い―新田次郎、藤原ていの娘に生まれて

チャキの償い―新田次郎、藤原ていの娘に生まれて

愛されていることが分かって、さっちゃんの軌道修正はできたのか。(下世話であろうか)

id:finalventさんはチェックしているかなっと?