母への詫び状(藤原咲子)
- 作者: 藤原咲子
- 出版社/メーカー: 山と渓谷社
- 発売日: 2005/05/25
- メディア: 単行本
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さっちゃん、こじらせ女子(と意味も分からず使う)
母は「流れる星は生きている」という戦後ベストセラー作家で、
それは、満州引き揚げ体験を書いたもので、乳児だったさっちゃんは12歳の時にそれを読み、
母親は自分を捨てようとしていた、と思い込み、
誤解は40数年後に読み直すまで続いた。
実は「流れる星は生きている」はフィクションだったのである。
人とうまく関係を結べなかったさっちゃんは、50数才になるまでのこじらせ人生の原点は誤解だったことを知る。
母親は自分を生かそうとあらん限りの努力をしていた。
トラウマ体験で人生が決まるのか、といえば、二人のにーちゃんはそうでもなく、
さっちゃんの文章は文学ではあるが、盛り上がりの焦点が何だかリズムに乗っていない。
お母さんはまだ生きているが、なんというか、取り返しのつかなさというか、
他に生きる道筋はなかったのか。
他に生きる道筋はなかったのか、私の人生を考えて、流れるままに生きてきた。
いつかいじけるときもあるのだろうか。
病気で病院に入院しっぱなしになって、運命を呪うときもあるんだろうか?
(少しずれた)
私は私でしかない。
誤解が生じることはよくあることだし、一回二回の挫折で、生き様は変えるべきことなのか。
希望は、捨てたくないが、そもそも、希望とは何に対して幻想を持っているか定かではない。
(私は愛されているってことかな)
愛されていないと思い込んで、それでも前向きに生きられるのか。
誰の役にも立たなくなったとき、それでも、慰めがあればよいのだが、
と、さっちゃんの苦しみは読まなきゃわからないとです。
続編出ているな
- 作者: 藤原咲子
- 出版社/メーカー: 山と渓谷社
- 発売日: 2014/12/19
- メディア: 単行本
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愛されていることが分かって、さっちゃんの軌道修正はできたのか。(下世話であろうか)
id:finalventさんはチェックしているかなっと?