信じる根拠
着地点は、「責任を取れない命令をする重さ」(ログ・ホライズンからの引用のつもり)であるが、文の分岐点がいくつか見えるので、たぶん結論は異なる。
人を殺す思考回路が理解できるッて書いたけど、ぼやぼや考えていたら思考が先に進んだ。
ブレーキの壊れたトロッコの先に5人の人が居て、ポインターを切り替えたら一人の人がいるけど、5人死ぬのと一人死ぬのとどちらかを選択しないといけない時、あなたは5人の命を救うことを考えて、一人の人を殺すポインターの切り替えができますか?
殺す行動ができた時、すなわち、これから100人の人を殺すことが分かっている悪人を殺すことができるんじゃね?
100人を殺すと分かっていると言ったって、思い込みに過ぎない可能性もあるわけで、正当性があると思い込んで鉄砲玉になるとか、有りうる?とか
みたくも思ったのだが、これから起こることの確実性をどう測るかだよなー
オウムがサリン播いたのは、崇高なる犠牲だと信じさせた人が単に間違っていただけで、でも播いた本人たちは正当性があると信じこんで、何を信じるか、だよな。
トロッコの場合は確実性が高い。某国の総理が本音は戦争を始めようとしているので今殺すがマシ、と言えるには、不確定要素が多すぎる。
で、人間界で起こることは因果関係がいまいちはっきりしない。
経済学はモデルを作っているのか、モデルが簡略化しすぎて現実を反映していないのでは、とか、原発は何をすれば安心かとか、
原発なんて、どういう仕組なのか理解しづらく、信じる、信じないの問題である。
finalventさんが専門家に対する信頼性と言っていた。
銀英伝で、ワインを知るより、信頼するワインを知っている人を見つけるほうが大切(適当)と書かれていたような、信頼するってどういうこと?
人柄で政治家を選ぶのか?って今更、無謀である。
何を根拠に信頼するのか?
相手がこれまでしてきた行動が一番確実とは聞いた気もするが。
これから間違うのならしかたがないのか。
で、何の根拠を信じて行動するのか?
私、大学時代にこれが起こるなら、A案は間違い、B案が起こるぞ的妙な判断をしたことがあるというか、世間の流れが変わり始める潮流かただのノイズか判断を迫られることもあるというか、
リスクを取らなければ、先人が居ないので確実性が低いと思われるブルー・オーシャンに辿りつけない(のか?)
世間的に証明されていない確実性が低いことを、自分が強烈に思って人殺しに匹敵するものすごい行動を起こす、、、よく分からんです。
一般ピープルには関係無いような、だけど仕事で考えたら、産地の育成なんてルートのないものを自分で考えて組み立てるというか(できていないけど)、
信じるものがないのは辛いなー
信じていないのに行動しないといけないのは辛いなー
自分の中で保留して、保留する余裕を持って、間違いである可能性を加味していつでも方向転換できる、宙ぶらりんに耐えること。
信じこみたい気持ちを抑えること、
ただ、自分が選択したらジタバタせずに結果を受け入れること(ダイの大冒険のカジノの王様だったけな、かっこよさを肯定してみっともないのは嫌なのか)
みっともないのが人生で。
と、何が言いたいかというと、ログホラの6だったか、シロエが信じきれなかったと言ったとき、信じる、信じないは行動を起こしたら疑うことではないのかもと思いつつ、全幅の信頼をおいて裏切られるのか?
裏切られて何が悪いのか?
全力を尽くさないといけないこともあるだろう。退路の確保は、まあ一概にいけないとか言えることでもなしだが、何を信じたとしても自分の行動の責任は自分で取るしかなくて、
相手がどうあれ、自分がどんな人でありたいのか?
一度二度期待が裏切られて多少の困難があったとして、自分の道を曲げるのか?
思い込みで動いてもいけないけど、芯がなくてもいけないっと。バランスの問題になってしまった。
困難がない道はないとして、たまには賭けにしかならないこともあるだろうし、買っても負けても偶然で、見込みの無いことに賭けるのは避けたいものだけど、確実なものはない中で確率論か。
兄貴がリスクを取れないのである。とれる行動の幅が狭くて(本人的には)ローリスク・ローリターンで、結局楽な道になっている。ジリジリする辛さはあるんだろうけど。
なんか私の理想って、信じず、あらゆる可能性を考えつつ、全力を尽くす、だよなーあるいはあえて信じる。
別に不利益被っても、大事にはならないと思える当たり、責任ない平社員でしかないわけだが、重圧に耐える気苦労を思うと、平社員バンザイです。
(今回、オチは余り気に入らないけど、気に入らないオチを全て消していたら、私が無くなってしまうのでしょうがないっと)