凡庸さ
凡庸さについて考えている。
私はどこにでもいる人間である。ん―最近finalventさんが凡庸さを書いた文章があった気がするのに思い出せない。愛という試練の本を紹介していた気がするのだが、過去ログの話かな。
「タクシーに乗った男」という題の短編小説を読んだ。泣いた。
月並みな言い方ですが、私の青春はもう終わろうとしていました。私は画家になろうとしてアメリカにやってきて、結局画家にはなれませんでした。
その絵の男を見るたびに、私は自分が失ったものの大きさを思い知らされました。あるいはその小ささをね
次に出てくる一章は、反対に何でも手に入れて、老いに襲われはじめの35歳の男の話だ。
「タクシーに乗った男」は「私の人生は既に多くの部分を失ってしまったけど、それはひとつの部分を終えたというだけのことであって、まだこれから先何かをそこから得ることができるはずだってね」と先がある。
しかし次の一章の問題は解決がなく、受け入れるしかないものだ(自死という生き方」に繋がるか)
で、もう一度「タクシーに乗った男」を読んだらまた泣けて、今、思い出し書きをしているのだが、また泣けた。涙腺ゆるゆる。
受け入れるべきもので、受け入れたらそれなりに、他の道が開けているのだろうか。
「困難な時代を生きる君達へ」http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20120109/1326094370という題の文章を読んで、これしかない生き方、か。
博士課程を出て、コンビニバイトになる道も合ったのだと思う。しかし、選べなかった。
ありきたりな自分でいいと思っている。でも、割り切れなさは残る。夢を追いかけてみたかった。
宮台先生が、浅羽通明を評して、思想を勉強しているから行き止まりが分かっていると言ったが、人類のたどった思想を咀嚼して、(次を考えるのは力不足だけど)
- 作者: 宮台真司
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仕事に不満があるわけでない。マクロな仕事もできる(可能性はある)。
私の得意は大量の情報を頭にぶち込んで、発想することだったりするので(本当か?)、大きな仕事カモン、である。
もちっと熱心に取り組まねばならぬ。(明日から7時から仕事しよっと。先週は体調不良だった)
一日一日を大切に過ごして、何が悪かろう。
友達がほしいのかな、と思ってまた泣けた。
なにもかも手に入れる人生はない。
と、「このまま人生が終わるのかな」と犬をつつきながらのつぶやきを黙って聞いてくれる母はいるのだが。
白状すると、「はてしない物語」よんでみようかなっと
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20090309/1236558698
(オチはそれかっ)
記事を書いて10分立って正気に戻ると、古典を読むことに制限はないけれど、一人で勉強しても、体系ができないのよね。