なんか資本論が引っかかってきた

犬の散歩から帰ると、パソコンが隠されていました(汗)

というわけで、昨日の前口上が長かったのは、またアホなこと考えているな(鬱)

橋本治いわく、頭の悪い文学青年、みたいな〜とも思ったんだけど、まあ頭が悪くてしょうがないし、ぼちぼち考えるのは楽しーので。


えーと、まず、善意を活かすシステムってどんなものか考えたんっす。

ガッチャマン見てないので、ビミョーになるんですけど、報酬どうすんの?動機付けは?

ところで貨幣って偉大ですね。様々な欲望に対応できる。

それ的、何かに変換できるものを報酬にするのか?何か一つの称揚される価値を持ってくるのか?

を読みつつ、善意があるのは事実だと思うんです。ボランティアでやれって。

繋がりは悪い面もあるけど、ないと困る。

貨幣に対応できないのは、愛とか

昨日の日経の読書欄を見ると、健康、安定、尊敬、人格、自然との調和、友情、余暇だそうです。

じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路 (単行本)

じゅうぶん豊かで、貧しい社会:理念なき資本主義の末路 (単行本)

生きていくのに必要なのは金で、といいつつ、田舎では物々交換なわけで、生活の場に食い込めないと、ってーか、

グーグルとかインフラになるっつ―のが、最近の話題なわけで。

インフラとして、ひとつの価値観を称揚するのは危険だよなー

と、期待しているから厳しく接し、期待していないから優しく接する、みたく、結果を導き出す過程はひと通りでない。

人生万事塞翁が馬を御して、善意というシステム、というか、良き方向に向かう評価をする可能性を断言する。

と考えて、思考が止まった。難しすぎ。

西内 いま、人の健康に関する行動を変えるところで、スタンダードに使われているのが「統合行動理論」というものです。これは、心理学者が中心になって、いろいろな心理学研究のなかで何が行動を変えるかをレビューし、整理してつくった理論なんです。

統合行動理論では、心理的な要因として、大きく分けて3つのものがあります。ひとつが「態度」。その行動をとるのが得か損か、かっこいいかどうかなどについて本人がどう思っているか、という要因です。
 2つ目が「規範」。本人ではなく、まわりでそれをやっている人がいるか、まわりがそれをやるべきだと思っているかどうか、ということ。
 3つ目が「コントロール感」。自分がその行動をとれると思うかどうか
https://cakes.mu/posts/7370?r=20141031m

技術論としては、この辺を考慮しないといけないみたいですかな。(昨日得た知識なので、まだ自分のものにできていない)


で、話は飛ぶのだが、finalventさんすげーなと思ったので。

[R30]: 続・働く人のキャリアの作り方

 オチなしというがうまくまとめているなと思う、というか、ついまとめちゃうのは職業病、ってどうでもいいツッコミはさておき。そして、切隊さんとの応答とかもさておき。

 反論っていうことではないが、薄ぼんやり思ったのだが、ドラッカーは20世紀世界における会社組織ってのを、共産主義国家社会主義(ナチズムがその最たるもの)の両方の国家ムーブメントに対して、社会はどう組織化されるかという問題意識で(ある意味そのあたりがカール・ポランニの弟子筋というか)、会社というありかたを考え、よって経営というところに行き着いた。わけで、ドラッカーは経営がその問題意識の出発点ということではない。そして、ある意味で1980年代の終わりに、会社の経営というところから非営利によるサードセクターと彼は言うのだけど、そうした社会組織が重要になるだろうとして、ま、ソ連崩壊とともに、現在のNPOムーブメントを先駆したのだが、ま、つまり、そこでは、経営という技術がNPO側に移っていくという点で、しかも、そうしたことからテクノクラートと第二の人生という生き方のモデリングという点でも、首尾一貫しすぎた巨大な思想家なのだが…てな話はどうでもよろし、で、ようは、経営というのを国家から組織される社会への抵抗のありかたとして模索されていたわけだが…というところで、では、会社のアイデンティを彼はどうとらえていたか? たしか、それは使命であったかと記憶しているのだが、徹夜明け頭ではうまく思い出せないが、いずれにせよ、ドラッカーは利潤ではないよと強く言明した。このあたりもドラッカー思想の面白いところで、企業の存在意義は利潤を上げることではなく、利潤とは経営の健全性の指標であるとしている。ちょっと薄ぼんやり頭で足すと、つまり、ドラッカーは会社という人間組織と社会と国家の全体像が基底にある。で、企業の使命とはなにか…端折るが、そして、たしかドラッカーは明言していないが、暗黙裏に、使命から還元される会社の理念・文化は想定されていただろうし、してみるに、雇用というのはその側面が大きいのではないか、と、ドラッカー的。

 で、R30さん的はどうよとふと思ったわけだ。くどいが批判ということでもない。

 働くということは、自分が働くわけで、その意味は?という形で、自分の存在が問われる。このあたりの話は俗流マルクス主義を出さなくても、継続的に働くということはただカネのためではなく、結局のところ、自己の社会存在の関係性的な意義付けだし、ゆえにそこは内的に倫理として反照されるだろう。たぶん、たぶん。このあたり、ちょっとプロ倫がからむだが割愛。

 なんか、我ながらまどろっこしいいので、端折りに端折るのだが、ようするに、にも関わらず、現実には、仕事か家族かどっちを選ぶ的な選択は問われる。単純な話、ローンを組んだら終わりだね。金持ちとおさんはよく読まれたがそうずばり書いてあるのに多くの人が読み落とした、というのもわからないでもない自分でもあるが。

 で、頭で考えれば、働く意義意識というのと、仕事か家族か的状況とどう調和するかという道筋にもなるが、言うまでもなく、現状ではとうていそうもいかない、ってか、そのあたりの現場からR30さんも言ってはいるのだろうが、で、そのあたりから、経営者の資質という展開に、なっちゃう、んだよね。

 私はどう考えるかというと、そのあたりが、とても難しいと思う。現実に、仕事か家庭かと問われる状況のきつさは頭でどうにもならん。だいたいが、子供産んで育てる状況じゃないし(公務員は除く)、親の介護と仕事を両立できるわけもないし(公務員は除く)、「妻」は余裕があれば離婚したいと思う比率もすくなくないし(公務員は除く)…ま、洒落のめさなければ洒落にならない状況がある。で、意外に、人間ってのはもろくてぽろっといってしまうのだね。

 と、書くと、じゃ、生き方?みたいな流れにどっと流れ込むわけだが、ま、それはほとんど回答回避に近い。おそらく、まじに実験思考すれば、企業なりNPOの社会的・地球的意義っていう疑似宗教みたいなものをある程度内在倫理化しないと、仕事っていうのは継続できないと思うのだが、この場合の仕事っていうのは、単純にカネの循環でもない…というあたりではないか。

 また、そのスジから変なツッコミがきそうだが、不況不況というが、日本で有効な需要なんてものがあるのかっていえば、単純に、広めの家をローンで買える線が見ればいいということになるけど、その家とかもどんどん都市シフトしているということは、仕事シフトでもあるし、その意味での仕事っていうのは、都市という広義のお友達サークルでもある(そこじゃ育児できないか、育児が文化活動みたいになっちまうぜ)。と、見るに、物質的な意味での需要なんてものはない。サービスの需要は当然あるよ。でも、そんなサービスは生き方に要らないというのアリだろうし、そうしたアリに折れ込むまえに非難できるような、エラシティを社会もたなくてはならないわけだし、それは、デュルケムを持ち出すまでもなく、ある種の緩やかな連帯だろうし、そのあたりが、非知的にずっこけるから、モデレートな宗教=サブ社会がでてきているというのが現状なのではないか、と殴り書きで書いてみたりする。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050328/1111968568

抜き出せなかったので、全文引用、ごめん、だけど10年前の記事で、中々読まれていないだろうし。

でコメント欄

R30R30 2005/03/28 09:45
かんべえさんかKatolerさんかどなたかが、「創価学会というのはダンナと子供にすべてを奪われ自分の人生の目標を見失った専業主婦たちをオルグしたがゆえに成功した」みたいなことを書いていた気がするのですが、それって裏に資金源としての「世俗的に成功したダンナ」を想定していたから可能だった気がするのですよね。今のどん底のフリーターを見ていると支えるべき資金源というのが見えてこない。あらゆる意味でホームレス化以外の道が残されていない人たちなんではないかと思います。その時に宗教といったサブ社会、デュルケム=内田樹の言う「中間的共同体」が成立しうるのか、僕には分かりません。僕ら東京住民はますますもって「貴族社会」を形成していくのでしょうが、それが新しい貴族社会なのだとすれば、そもそもそれ以外の領域の人間に我々の建前を超える部分でなぜ心配しなければならないのか?君たち自分で何とか頑張れよはっはっは。という声がますます圧倒的になりそうな気も。日本って寒いなあ。


finalventfinalvent 2005/03/28 10:15
R30さん、ども。ええ、そんなわけです。で、その疑似宗教=理念をもった会社、ってスジかも。それと、貴族社会=東京都市集中=精神・お友達サービス需要=カネ欲しい、って感じかな、と。


R30R30 2005/03/28 10:30
finalventさん、レスありがとうございます。あ、なるほど。ぐるっとスパイラルを回って一段上のドラッカーに行けっつーわけですね。本当は、そのリーダーが400万フリーターから出てこないといけないと思うのですが、やっぱりそれを生み出すのも我々のノブレス・オブリージュですかねえ。

で、続編

簡単にいうと、疑似宗教みたいな会社が出てくるよ、と。そうした疑似宗教でもないと、働く意義が納得されないし、そうでもしないと働けるもんじゃないよ、と。(松下とか昔からそうじゃんとか突っ込まれたらふぎゃぁ。大抵の会社の屋上には神社があるよ等も同じ。)

 すでにアメリカの新企業というののコンセプトは疑似宗教だよ、と。スタバっていうのはスタバ教だよね、と。

 すでに日本人の生活に需要なんてものはないよ。欲しいものはなーんにもない。いや、ほんとは広い家が欲しいのだけど、それにはローンが届かない。そういう意味でまとまったカネのために働いているってわけでもないんです的。

 家のローン組まなければ小銭はあるから、さーて、何に使おうかな納豆。消費って楽しいなっていう程度が消費(小銭だね)。

 住処は都会に欲しいんだよ、と。仕事場に近いほうがいいし、都市のほうが住みやすいし、親族とかうざったいところは嫌だし。

 都市というのは、ハイソな社交クラブみたいなものだから、それに出費しているオイラは貧乏なのさ、いえーい、みたいな。

 つまりは、そういうハイソな都会教の信者なのさ。でないと、心が満たされたいんだよ、ワタシとかオレとかさ。

 と、と。ここで、ちょっと、新しく加えると、つまり、仕事っていうのは、現代においては、そーゆー都市生活の属性なわけだね。
http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050328/1111995720

で、10年後の現在、消費に興味ない若者が生まれているわけで、10年前に仕事とは家のローンである、と来ていたのである。

仕事をするってことは、価値観をって自己実現を含むってーかそうはいっていないけど、続編で拘束時間のことを書いたhttp://d.hatena.ne.jp/finalvent/20061025/1161737808もおもろい。

人生の限りある時間を考えた時に、嫌いなことするのもバカバカしい。

食うに困らなくなったら、価値観で働く場所を決めるようにならないかっつーか、私がコミットしたい価値観にカネを使うことは可能かっつーか、「自己の社会存在の関係性的な意義付け」と言われて、納得できるものはあるのだが、

私の就職は約10年前(サバ読んだ)で、最近の子が、仕事をどう捉えているのかは不明であるが。

で、仕事なのである。ネット上で仕事の契約が可能なサイトもあるし、そこでは信頼度の蓄積が可能なんだよな。

ただ信頼度っつ―のを尺度にすると、マジにビックブラザーだし、もっと穏健な遊び的な何かと町内会に戻る。

ないと困るけど、余力で出来る、というか、マジモンで職業に出来る人も居て、濃淡が合ったほうが多様性が出る。

インフラ、インフラ、と閃くものはないんだけど