ある決意の話

finalventの日記の過去ログで拾いたいところがあって、長くなりそうなので、2回に分けて、1回めは自分語りで、2回めは他人の存在の軽重を自分の中でどうつけるか、ニーチェなのか、で。


突然ですが、私はさかなくん系統の性格をしています。擬音語好きだし。

周りからは侮られがちではあるんですが、その辺、30を超えて、この性格が続いている、というか、引き篭もらないぐらいの空気読み能力はあります。

というか、10日ぐらい前に職場で、「僕、センターの国語で偏差値71あった」と先輩が言えば、

秋津くんは「僕は84出したことがあります。」

先輩「それは模試だろ。本番で」

別の先輩「私は予備校で辞書をもらったことがある。どうも全国で20番だったみたい」

とぐたぐたになったんですが、本番で偏差値70?取っていないでもないだろ。得意科目一問間違いだったし、当時偏差値80を超えなきゃ興味なくて覚えていないだけで、実家に帰ってみてみたら、現役の時、国語が75でした。

と、浪人した時のデータと思えば、置いてなくて、結果が全部おいてあるわけでもなさそうで、得意科目のMAX本番偏差値は永遠の謎です。

少し良かった、と思ったのは、記憶にあるのより、模試で偏差値80を取った回数が少なかったのだが、記憶が正しい可能性もあるのか、というか、全国順位のMAX(2桁)は記憶していたのより30番上で、80にしか興味なかったのね、自分、みたいな。

ちなみに、入社してから偏差値のことを言ったのは、日頃の態度から嘘ついたように見られても嫌なので、初めてです。

で、大学に入るまで、私は文の構造分析が出来なかったので、感覚解きです。

感覚は広がっていると書きましたが、リラックス時だけで、危機感で丸めることも出来ます。

海燕さんが結果だけ分かる能力の人のことを小説で書いていましたが、丸めたら、一度言語を頭のなかで変換せずに、そのまま口にだすので、かなり怖いので普段はしないのですが。(対人反応を気にしない、模試では全開)

危機感というか、より具体的に言えば、敵意の存在を感じると丸めやすいです。

というわけでピンチになれば当意即妙ができて、国語のテストで良い点をとれるぐらい流れは把握できるので、感覚はわりかし当てに出来ます。

ただ、敵意を感じたら、という点が嫌で、性善説に立ちたいので普段使いにはしない。

それに、丸めたら、自分のベストは尽くしている感で、自分は正しいという立場に立つのもいやだったのである。いつもは自分は間違っている立場なんだけど。

というわけで、さかなくんのようにはしゃぐのは照れと甘えがあったんだが、昨日の夜、飲んだ班長と私が車の運転係をして、いろいろ言われたので、もう卒業しようかな、みたいな。

敵意の存在を前提にして、暫くはお愛想笑いも封印だな、1年半は必死になってみよう。

人生論にしたいつもりはないが、すべての「問題」は、「私の生きがたさ」に極まる。そして、私がなぜ生きがたいかといえば、私が生きたいと願うがためであり、それを避けるには、願い=意思、を抹殺するか、私を抹殺すればいい、そうすれば、何かが幸福に生きるかもしれないし、死ぬかもしれない。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20050427/1114566189

しょうがないさね。いや、たぶんすぐには切り替えできないけど