チューハイ飲みながらアニメって最高ですね

7つの大罪ナウである。集中できなかったりはするが、まったりぼそぼそ書く。リミットは40分!

昨日の記事の続き、極限状態と思えば人を殺せることに対するリミッターは働かない。

というか、自分の保身のため、憧れの彼女をひどい目に合わせた復讐、領海侵犯したから、と殺す正当性はいくらでも紡ぎ出せる。

結局、絶対に人を殺さないと自分ルールを作っておくしか、リミッターは働かないのではないか。

で、絶対に××しないって、詐欺師は殺人は犯さないという矜持があったりもするのだろうか、逆に理由があって殺人をする人は不特定多数をだます詐欺師の気持ちは理解できない気がする。

全て道徳に従う人は、良心的兵役拒否ということにはならず、結局兵士となることに抵抗感はなさそうである。

大義名分のない戦争はない。

まあ、殺人を犯さないということが至上命題にはならない気がするし、一人殺せば殺人犯、千人殺せば英雄で、殺人も理由があれば許される、ということが納得できない人がどれだけいるかという方が問題か。

死刑があるわけだし、日本人の多数派は(昨日のお題のツイートに返り、以下略)


で、少しずれるわけだが、正当な怒りはあるか、ということを考えているのであるよ。

大義名分のない怒りはない。馬鹿げたことであっても、本人にとっては正当性がある。

怒りを無邪気に表明できる時点で強者なわけである。ペナルティの覚悟がない怒りは、権力のにおいがする。

うちは親父殿や兄貴が理由があったら怒っていいと思っているのである。反撃されることなんて当然考えていない(反論されたらさらにキレる)。

叱る、と怒るの違いとかありましたけど、現実をよくする最短距離の叱りもあるかもしれないけど、叱る立場に安住できるのは権力が保障されているからである。

一つ叱るたびに、性格に驕りが出て、腐っていくのを自覚しておいた方がいいと思う。

社長がお茶をしているとか、人から指摘されて、謙虚になる場もまた別に構えておくとか、会社以外に生き様がないと、性格に歪みが出るのではないか。

35を過ぎたら、家庭と会社以外の世界ももっていたいですね。

あと2分で〆はこの辺でいいかな、で終わり。