神は万能の召使い?

日本人の求める神は、万能の召使い。

というfinalventさんのツイートを見てつらつらと。

3年ぐらい前か、そんなことを書いた日記のコメント欄に書き込みをしたことがあった、現在はあの時と違うのか。

同じく、

「なぜこの世はこんなに理不尽なのかな。全能の神がいるならなぜ、なにもしないのか」という問いの答えは聖書にはっきり書いてある。ぞっとする真実として。
(その問いはサタンの誘惑。)

というツイートもあった。

私は小室直樹の予定説なんかも知っている。

よく分からないけど、神の意図を知ることができるのか、と言われると、隣の人の考えることも分からないのに、神の意図はなおさらであるし、

利益をくれるから崇拝する、それは当然のことで、神様をそんな卑小な存在に貶めるのには抵抗感がある。

かといって、禍を課す神を崇拝するにも納得し辛く、神という存在は設定していない。

ほのかな厚意の存在は神の恩恵かもしれないとは思うが。

禍をもたらしても崇拝する回路は試練だと思えばそんなものかもしれない。

しかし、試練を乗り越えてハッピーエンドとなるというには、試練にの状態が延々と続くことが多いのが人生である。

震災で一家全滅、一人生き残った初老のとーちゃんは辛すぎる。

そんな人生はそんな人生として野草の美しさにふと見とれるときがあれば、それは神が存在したとして納得するのだが、万能の召使いと解釈しているのだろうか?

神の存在に理由をつけるのも、何だか僭越な気がして

では、感じられたら、ということになって、信仰ってムズイ訳です。