革命と亡命と世界統一政府

あのね、日本と韓国と限らず、ふつーね、傀儡国家以外はね、隣国って仲が悪いものなんですよ。そうでなければ国境線ってないはずでしょ。アメリカとカナダですら、仲がいいわけではないんですよ。

それとね、友好というのはね、国と国の場合は経済問題の表現でしかないんです。だから、国と国が仲よくなることと、二つの国民同士がそれぞれの生活の場で仲良くなることとは別なんです。大切なのはあなたです。

だから、こうした展覧会で国を問うのではなく、あなたに仲のいい隣国人ができるきっかけというふうに展開してくださいね。

http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20041001/1412374399

たまに暇な時、finalventの日記の過去ログを30分ぐらい読んでいる。

何度か読んだログのはずなのに、見る度に発見がある。

この抜粋はかなりノーチェックで私の頭のなかに入ってきてヤバイ感じである。

世界統一国家か、なんて考えていたので。

国の単位がある利害の境界線として有って、65億の単一体であるより、意見が圧殺される割合が少ないのか。

2000万人か。

ところで、SFマガジン7月号だったか、PSYCHO-PASSの小説を流し読んだ。

私は極限状態でも維持できる考えを設定するべきなのか。

宮台真司が極限状態(とは言っていなかったが)で、頼りになる人しか友達として認めないが、それは極限状態にならないと分からないことであるので、通常事態では友達の軽重をつけていない、と書いていた(ちょっと違う感じで)

私としては極限になったら極限になった時考えたらいーやんと思って、極限状態を含めて維持される考え方を通常状態で設定するのは、通常状態を通しての仮定、妄想なので、やっぱり設定は無理か。

PSYCHO-PASSの世界は体制に従順でない人は弾くシステムで、でも、日本は繁栄していて、日本以外の国は没落していて、国境線は堅固に守られて、

(とオチが考えつかないので、40秒停止したのだが、何か思いつく、私は神がかり系なんだよね)

日本はディストピアであるんだけど、それに納得している人もいるわけで、一部の人の意見を圧殺するからといって、一部の人が楽園を壊す権利はあるのか。

自由意志か、経済的な繁栄かと考えた場合、どちらを優先するかひとによって違う。

色んな国があって、それが選べることがいいんだろう。

司馬遼太郎が、アメリカ素描だったか、亡命できる自由なアメリカという国があることで他国人がほっと出来る事がある的なことを書いていたような、30年以上前の話だろうが、自分の意見が自分の国で通らないからといって、自国を変えようとする意思は尊いが、亡命という選択肢があってもいいのではないか。

そういえばfinalventさんは日本という国に拘ってはいないと書いていましたね。

というわけで、私は世界統一政府の設定を諦めた。

しかしそうなると、マギの紅炎にーちゃんの世界統一政府は、というか、マギの世界観事態で、多国が肯定されるのか、興味津々だな


山田詠美」の本の感想、頭のなかで出だしを3パターンぐらい考えて、書く気満々なのである。

15時ぐらいに書いて、明日の朝にでも更新しよっかな。