慰めになるのか?

こころの旅 (神谷美恵子コレクション)

こころの旅 (神谷美恵子コレクション)

彼らはすでに向老期という危機を通り越して、悠々たる時間の中に生きている。

べつに何かを「今のうちに」いそいでやりとげておかなくてはならない、というあせりやいらだちもない。

生かされている一日一日をたのしんで、多くの人はそれまでやりつけた仕事なり、趣味なりを自分のテンポでつづけている。

とくに仕事や趣味もなくても、ただ生きているのが楽しいとか、世の中の移り変わりを見ているのが楽しい、という幸福な境地にある人もある。

しかし、知能だけが人の存在意義を決めるものではない。知能や学歴如何にかかわらず、安らかな老いに到達人の姿は、あとから来る世代を励ます力を持っている。

人の一生の心の変遷を書いていて、確かに自分と照らし合わせて違う部分はない。

興味があるとすればこれからで、老いや死を恐れるところまでは想像できたのだが、その先の存在は想像できていなかったので収穫であった。

幼年期のいつから美を感じられるのかという設定も着眼点はいいと思う。

でも、それ以外収穫はないというか内容としては外れ。

しかし、文章に深みがあるので何となく全部読んでしまった。

この深さは孤独感が醸し出しているのかも、と、一昨日の文章を訂正する。

一方で逆境をすべて糧にできる風に感じてしまって、何かを思い出すかといったら、「天地明察」の主人公や山本周五郎の「ながい坂」だ。

おれ、「ながい坂」のどこがいいのか分からんちんなのである。立身出世で、あくまで真っ直ぐな主人公。

たたき上げられて、本物になったのかというか、高慢ちきな鶴ちゃんが落とした馬の鞭を拾ってあげれたらよかったのに、と主人公が過去を思う時の感情が(今のところ)私の辞書にはないので、

同じく周五郎の「虚空遍歴」で主人公が芸術に敗れ、酒びたりになってしまうほうが親近感が持てる。

で、ツイッターで拾った「慰めになる」という言葉が引っ掛かっていた。

高潔さは至らない身には慰めになる、のか。(俺のもやもやする気持ちと、慰めの言葉が少し遊離するので疑問形)

紀子様がこの本をお気に入りである理由はいまいちよく理解できないのであった。

文章から滲み出る為人が好きだから、もうちょい読み続けるけど。

(追記)
山本七平とか読んでいると「慰め」を通り越して「救われる」気がするんだよね(言っちゃった)