山本七平の間違いを見つける

別に間違いってほどでもないけど

昭和東京ものがたり2(日経ビジネス人文庫)

昭和東京ものがたり2(日経ビジネス人文庫)

オバタリアン」という言葉を聞いたとき、私は何となく、「大日本国防婦人会」のオバさんたちを思い出した。

これが軍の指導で発足したのが、昭和7年、着物で白いかっぽう着をつけ、国防婦人会というタスキをかけていた。

この服装には新しい風俗への抵抗がこめられていたのであろう。

日経新聞2013年9月22日の日経新聞特集「熱風の日本史」では

婦人運動家の市川房枝は必ずしも国防婦人会に共感はしていなかったが、自伝で「かつて自分の時間というものを持ったことのない農村の大衆婦人が、半日家から解放されて講演をきくことだけでも、これは婦人解放である」と書いている。

国婦のかっぽう着は古着で野良仕事にあけくれる農村女性にとっては「都会の奥さん」のあこがれのファッションだった(加納実紀代「女たちの<銃後>)。

世田谷区在住の七平にとっては古いファッションであっても、ということみたいだ。

なぜ都会の人も国防婦人会の活動に熱中したのか

同じく熱風の日本史では

軍国活動を支援する女性組織としては、1901(明治34)年に創立した「愛国婦人会」があった。

ただ、会員は皇族、華族、上流階級の婦人が中心で、会費を集めるだけの「献金団体」とみなされていた。

大衆的な国防婦人会の登場で、「愛婦」と「国婦」はお互いをライバル視し、会員獲得競争を展開。愛婦は600万人まで会員数を伸ばす。

がヒントになりそうな気もするが、少し気になるので7年後ぐらいまでには調べてみたいとぼんやり思う。