才能のない自分でも才能のある人に勝てる(かも)

大学で何を学ぶか (幻冬舎文庫)

大学で何を学ぶか (幻冬舎文庫)

多少もの書きをやっていると、たまにライター志望の学生から相談されたりする。そういう奴のほとんどが「私に才能あるでしょうか」とかなんとか、「供給」する能力ばっかりを心配している。

こういうのを世間知らずっていうんだよね。どんな天才でも、偉い批評家に定評ある新聞の書評でほめられても、金払って読んでくれる客がある程度以上の束をなさないと商売としてはなりたたないの。てめえの才能なんかより「需要」の有無を検討しなさいって。

兄弟と話すと、センスがないから営業の職には就きたくないとごねていた、一流になるならともかく、普通レベルには努力するとなれるので、気にせずともとりあえず金稼げばと思わないでもなかった。

(おれっちは意外と要領が良く、手も足も出ない経験はしたことがない←失敗を記憶から抹消しただけです)

その一方で私も、山本夏彦が「真実の愛」「愛の真実」という二つの本を一人の人が書いてそれが才能(田中芳樹もネタにしていたので元ネタがあるんだと思う)で、これは1%もない人もいて、そういう人は箸にも棒にもかからないという才能説を真に受けていたりした。

が、浅羽さんの文章を読むまで、才能なんて問題じゃないという視点はなかったな。

もちろん、需要のある文章を書けるのも才能のうちなんだろうが、人が目をつけないところで売り込む、希少価値のあるところで勝負する、レッドオーシャンブルーオーシャンなんぞ耳タコだが、自分の中に才能のある人に勝つ可能性があるなんて、ジョジョは好きなのだが、意外と自分のことと結びついていなかったというか、西原理恵子の教えか。

人を出し抜くこと、これをおれっちの仕事でいかせるとしたら、、、と少し考え込んでしまった。