銀魂 万事屋よ永遠なれ

番宣の若銀ちゃんと銀さんが並ぶ場面は本当にありましたが、やっぱり銀魂といえば出だし、にオチでしょう。

出だしは、ちょっと苦しかったかもだが、内容とのつなぎ具合はスムーズでござった。

いや、強引なんだけどさ、全く関係のない笑いを誘っているだけ、まーたこんなことしてやったもん勝ちだなと思っていた事柄がいつの間にか本編と繋がっている。

やりたいことやって文句言われないようにくっつけたんだろ的微笑ましさを誘ったというのも脚本の狙いどころなんだろうな。

背景説明も慣れた人は聞かなくていいように工夫されるところも唐突じゃないし。

気を抜いて笑いモードに入っていたら、いつの間にか本編に入っている不思議感が残りました。

オチはエンドロールが流れた所で、客が一人も立たないのは通ばかりのわけもなく、皆、余韻を味わいたかったのだろうというところで、副題の意味がちゃんとズシンと来るのはさすが。

笑い声はといえば、少なかったんじゃないかとは思ったんだが、館を出るときに大二ぐらいの子が連れの彼女に「やるときゃやるところがいいんだ」と力説していたので、対象者的には大満足だったみたいです。

シリアス的な内容はよく考えたらどこかで破綻している気もしたが、(そのアイテムがきっかけになっての結果だろうと想像はつくのだが、クライマックスの結果に結びつくまでにもう一理屈ないと、脚本の欠陥な雰囲気が漂うと私は解釈した)、う〜ん、お祭り騒ぎが見たかっただけだし。

ただし、いつもの空知の、ふつう思考停止するところをがんと踏み込む思考実験的な感じは好感度でした。

結果はともかくその態度で嫌いにゃなれない。

北斗の銀(本当にそう言った)、的ギリギリ感も味わえたし、赤い服の件は、言っちゃうの?みたいな。


新撰組の節操の無さは「燃えよ剣」みたく、武士の理念に燃えている設定じゃない弱みかな。

私は近藤さんとお妙さんがくっつくのを楽しみにしている派なんだが、銀魂の最終巻ではお妙さんと銀さんがくっつくのも許せるか、みたいな感じでした。(そんな事にはならないと思うけど)いや、猿飛さんも捨てがたい。


ちなみにぼっち検定では何段だったか、一人でアニメ映画を観た。

隣に二十代後半のデートさんが入られたのは年齢的に心強かった。

私は彼女とこれを見るのは諦めたんだが、ちゃんと一見さんお断りでないような気の使い具合で、(贔屓目というか裏返せば、でも結構みんなに出番があった)、脚本家以外に解決方法を思いつく奴はいないなので、退屈することはなかっただろう。

結構、席は埋まっていて、子供が面倒起こすことは覚悟していたけど、特に騒がしくはなかった。子供の集中力も続く映画だった。

(追記)

私は後半4分の1の怒涛の展開で、そこは理屈をつけようと思えばいくらでもこじつけできるので、テンポ優先で省略し過ぎじゃないのかと納得できなかっただけで、最重要アイテムの使い方はうまかったです。

あとエンドロール直前で明らかになるまでの某人物の動向には、やきもきました。