自伝(ヨセフス)
- 作者: フラウィウス・ヨセフス,秦剛平
- 出版社/メーカー: 山本書店
- 発売日: 1978/06
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しかし、巻頭の山本七平の解説、訳者のあとがきを読むに、一筋縄ではいかないらしい。
解説から察するに、ヨセフスはローマに滅ぼされたユダヤ人の国の祭祀というか政治家というか、で、
祖国滅亡後はローマ皇帝の覚えめでたく、一時の寵臣がバッタバッタ殺される中、皇帝三代にわたって生き抜いた。
どうも同胞からは裏切り者と思われた節もあるかもしれないが、残したユダヤ人の歴史は2000年たった今も残る重要なものとなる。
自伝は歴史ものと一部矛盾して、自分素晴らしい調で書かれ、お下品なのが問題である。
ファイナルベントさんが山本七平はヨセフスと自分を重ねていたのではないかと書いていたような書いていなかったような。
山本書店から出たヨセフス全集は21世紀に入ってちくま文庫に入ったが、山本書店分も中古でも値崩れを起こしていない。
とゆうか、ヨセフス研究というのまで発行している入れ込み具合である。
日曜日に山本七平の対談集を50P読んだところで、今日は教養の気分だと自伝を読み始めた。
七平の本の感想かユスセフの感想かで、パンを湖に撒く生き方(?)何も望まない生き方を考える。
世間に何と罵られようとも、自分の芯を持つ下手な生き方だ。
私は周囲の歓心をかおうとするところがあり、返って藪蛇になるところが無きにしも非ず。
周囲から泰然としていたい願望はあるが、自分の分を受け入れること、嫌われてもしょうがないと思うことにはまだ未練がある。
と、少し話が変わるが、人があることをしたとして、それがその人を代表する行動だとは思わない。
〜したから、とか話に出さない。
人の人格には揺らぎがあるし、私の許せない行動が他の人にとってはそうではないと思うし、私の許せる行動は、他の人にとって許せないこともあだろう。
橋本治は付き合う人が減っていく的なことを書いていたような、人の行動が許せなくては付き合う人も減るだろう。
私の行動も人によって許されないかもしれないが、私が私である以上変えようがないところでもあるし、それで嫌われてもしょうがない。
同窓会に出るか中学生の時の友達にメールしても返事がないのであるが、タイミングが合わなかったにしても、しょうがない。
人の好悪を気にせず超然としていたいのであるが、ヨセフスは無視られるだけでなく、石を投げられているからな。
そこまでこだわる使命がない私は人間関係で一喜一憂するのも楽しい人生だが、ベストを尽くしたと自分で思えて人を追いかけない人生にあこがれる。
それが仕事でできれば、一皮むけると思うんだけどな。