ログ・ホライズン6

友達についてと、人間の性格理解について、少し考えた。


魔法科高校の劣等生アクセルワールドは脱落し、残るはソード・アートオンライン(飛ばし読み)と東京レンヴンス(1冊積読中)と、実に貴重な全文読んでいるのがログ・ホライズンである。

たぶん作者は投稿し始めた時期からして、同年代で、彼の設定する人物が年齢より悟っているのは作者自分をモデルにしているからか、周りへの観察結果か、私が幼いのか。

巻末の組織一覧の人名(元ネット上のペンネーム)を作者が考えたのに、あるある、と少し笑った。

作者の人物理解が興味深い。

ハーレムギルドの主、ソウジロウについてである。

誰にでも優しいのは、誰にとってもやさしくないのと同じ、とは「運命のタロット」(皆川ゆか)のファンクラブを持つ片桐先輩だった。

彼の限界を書きかけて打ち切りにあい、(続けようとすれば無理は言えた雰囲気はあったと思うんだけどな)、以来、誰にでも優しい人の欺瞞はどのようなものなのか、考えようにも身近に例がなく考察がすすまない。

(あ、高校時代、学校学力ナンバーワンと部活が一緒だったので、少し材料はあるか。優等生で、欠点が見えなかった)

英伝でラインハルトはコップの水を傾けたように浅い部分と深い部分がある、とあって、性格に万能はない、万能な人が抱えるのは虚無なのか、性格のインストールがきちんとなされていない(脱社会系)みたいな、なのか、ボーと考えていた。

ソウジロウの欠点をサブギルドマスターが評するに

今こうして身内の少女に手を出した相手への報復を指示するのも、別段キョウコに思い入れが深いためではなく、ただ単純に「そういう少年」だからである。

それはある種のルール、機械的な判断であって、ソウジロウのその部分に影響を与えることはナズナにはできない。

ほう、「機械的な判断」とは辞書になかった。これはインストールなし系ですか。

人間の性格は初めからインストールされた部分、意志、経験ではどうしようもない部分、

でもないな、性格の揺らぎ、みたいなものがある人とない人がある?、それは成長する部分としない部分と分けられるか?、う〜ん、辞書に欄がないので、どこの端っこに「機械的」と書き記すべきか、暫く考えてみる。


今回、アカツキにシロエ以外の友達ができる。

そのきっかけというのが、もにょもにょで、困った時に助け合えるのが友達か?

うーん、自分も困った時に同期に頼ってみようかなー

それ以外の人ともつながりを持つべきかなー

と、「やはり俺の青春ラブコメは間違っている」のアニメを見たりして、中二病設定に笑わしてもらって、戯れるのも良いなとは思うが、アカツキも戯れの餌食になったりしていたけれど、

困ったときに助けてもらう前に戯れがあるんだろうな、しかし、私ってあまり誘われないのよねというところで、友達ってどう作るんだ?

中学生の悩みをアラサーが実践するのもどうかと思うが、今回の顛末を見ていると、それなりに周囲に気を配っていると、いつの間にかできている、もの、なのか?

ちょっと考え中である。材料がないので、分からない。


ヘンリエッタの考えは理解できる、自分にできることは大したことないけど、やれることをやるだけです、みたいなのは、でも20を少し過ぎただけの子が到達する考えでもない気がする、

私がアラサーにして菜根譚〜を認めるのにやぶかさではないが、それでも意味のないサビ残(だって楽しいんだもん)、で参りそうになってしまうのは、まだ社の立ち位置に未練があるからだ。

その一方で、責任を負えないのに決断を下さないといけない恐怖、とか、まだ私には腑に落ちる考えではない。


とにかく、興味深いので、早く7巻でないかな。まおゆう外伝を読んでも楽しいのか?本編は4巻から読んでいないのだが、少し迷っている。