想像力はどの程度必要か

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)

人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)

想像というのは、現実にないもの、見えないもの、経験したことがないもの、今直接には関係のないもの、そういう未知で不在のものを考えることである。

これは、主観的なもの、具体的なものに囚われていると難しい。

常識が備わってくると、想像力は鳴りを潜めざるをえない。

想像力というか、抽象力というか、あったほうがいいのか、悪いのか?

有象無象より頭一つ抜けようと思えば、あったほうが良い。

しかし、試行錯誤して、想像力が正しいことがわかればいいのだが、正誤が分からない場合のとっさの判断では想像力は必要なのだろうか?

なぜ、ベトナムに行った米兵は口をあわせてよく憶えていない、話したくない、最後にその時は悪いと思っていなかった、判断するゆとりさえもなかったが、今では、、、とまるでパターンのように話すのか。

「つまりは自分の行為の免罪符をえようとしているだけでないのか」とインタビュアーは問い詰める。

「どれもがもっともらしい言い逃れのパターンである」と記者は断定している。

しかし、実のところ、戦闘中は視界は前方のみの10メートル、5メートルも離れていない隣の兵士の戦死の状況だって正確には分からない。

何人殺したかなんてとても分からないのであるのに、それを言わないと言い逃れと断定される。

でも、いくら想像力ったって、自分の経験していないことで納得するのは無理なんである。

自分の経験していないことを相手がそういったからと言って納得するのはただの言い逃れを真に受けることではないのか?

相手の言っていることが真実であるか、言い訳であるか、経験もない判断材料がないのに分かるわけがない。

自分の経験したことのないことを相手が言ったときそれに納得しないは、日本人だけの行動パターンでもなかろう。

だけど、自分が納得できないことを相手が話したとき、一方的に断罪するのは想像力がなさ過ぎて、やめとこー


[日記的メモ]
昨夜8時15分から寝たらかなり回復しました。

が、小林秀雄山本七平もいまいち頭に入らないので、まだ疲れているかな。

昨日の更新はあまりになんなので、あまり冴えていないネタだと思いつつ、更新してみました。