関係

友達関係というのも関係の一種だな。

橋本治は「宗教なんて怖くない」で関係もだんだん深くなる。一足飛びにはいかないと書いていた。

そういう意味では、ペトロニウスさんの友達と思ったら頼みごとしまくれ(だったか我がまま言いまくれだったか)も関係を一歩進めるうえで有効かもしれない。

人からの借りはすぐに返すのではなくて、しばらくもっておけ的な逆を行くというか。

友達は、貸し借りの幅が大きい知り合いか。

裏切らない友達はいないと書かれて、思い出したのが、山本七平と夏彦の対談集である。

昔のというか明治の人は、友達といえば、それこそなんでもしてくれるみたいな、相手も自分と同じことをしてくれるというのが自明で、自分も相手のために尽くすという関係があったと書かれていた。

私は、自分が相手のためにしてやると思ってナルに浸るところは想像できても、相手にそれを要求するのはなんとなく辛いので縁がない。

田中芳樹の3巻中絶中のスペースオペラで、自分がある状況におかれたとして想像できないことを人ができるできない判断することはどうよ、みたいのもあったのが、

距離を置くこと、置かないこと、どちらが親友なのであろうか?

相手の意思を読めると考えるのも僭越な気がする。


宮台真司は最近の子は親友に対してノリを壊すことを恐れて秘密を持つ、それって親友とは言わないのでは、と書いていた。

そういう意味でいえば、私はノリを壊すことを考えずに、相談できる人がいる。

向こうが真面目にとってくれるか、内心いやだったりするかもしれないが、ま、1度2度ぐらいなら顔には出さないだろう。

そこから深い友達づきあいの一歩が始まるのかもしれないが、(するのか?)

ところで、入社して1年目のころに、同期どうしで、飼い猫の写真とかメールでやり取りしていることを知った。

私はその輪の中に入っていないというか、初めの一枚で返事を書かなかったからというわけでもなく、素で全く兆しさえなかったのは、さすがにがびょーんであった。

実際飼い猫の写真送られてもそんなことで戯れる時間が惜しいので、あまり嬉しくはないだろうが、困った時に役に立つやつだと思ってもらえたらいいか。

→思ってもらえません。

そういうくだらないところで関係ポイントを稼ぐんだろうなと分かっていても、小さな貸し借りというか戯れて楽しいことがないのは、やっぱり親友づくりには向いていないか。

内田樹が、困った時にこいつなら知っているというネットワークづくりが大切だと言っていたようないないような、自分の貧困な人間関係を考えると、少しさみしい。

コネを作れ系のビジネス本は手に余る。

と、finalventさんの困った時にアドバイスする人、かばってくれる人、とあったが、私は一緒に泥をかぶれる人になれるのであろうか。

(利益の半分を持っていく要領の良い人にはなれません)

アドバイスする人を目指したい、てか、かばえる人になるには、まだ、社会人的にやっと一人前になりかけの身には辛いが、そこを目標にするか。

与えることを考えるとはそういうことなんだろうか?

厳しいながらもそういう雰囲気を漂わせた人になりたい、か?

いや、私がそもそもこいつに賭けてみようと思わせる人になりたいかもと思いつつ、橋本治の「89’」を読んでから、人と関係を持つということをぼやっと考え続けているのであるが、あまり閃くものがない。