ぼくは日本兵だった
- 作者: J・B・ハリス,James B. Harris
- 出版社/メーカー: 旺文社
- 発売日: 1986/07
- メディア: 単行本
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NHKラジオ講座のハーフの先生は、日本兵であったことがある。
恨み辛みがじわっと染み出てくる感じではなく、視点がわりかし冷静というか乾いていて、読み易かった。
年月のなせる技かな。
漢字が読めないというせいか、真珠湾攻撃したとき、戦中を通して、大東亜共栄圏の言葉も出てこないし、戦争の日本の正当性には思い入れがない。
真珠湾までの回想に半分が割かれ、それも一般人の生活(日本の学校も出ていないけど)も興味深く、兵隊にとられるまで、取られてからも、やっぱり日本人はそんなことをしているよね的なもの、よくしてくれた上官の話、読み終わっても結構覚えている。
―ああ、我々は中国の人たちを踏みにじったのだ!
「伍長殿、やつらは何といっているんでありますか?」
かたわらにいた部下がたずねた。しかし、ぼくは何も答える気がしなかった。
うっと思う。そのときの気持ちが想像つかないことが、私は人間の何かを欠損させているのではないかと思う。
しかし、
それと、経験を通して学ぶというとき、言葉から学ぶ。恐怖の感情で反応するより、思考を先にできる子どもに育てる。(finalvntの日記)
という文を読むと、無理に感情移入しなくても良いのか、当事者ではない利点を生かさなければいけない(←?)とも思うが、ベントさんの文章で無理に納得しなくてはいいか、とも思う。
当事者ではない利点って何かもよく分からないのだが。
思考ってキーワードだと思うのだが、いろんな人がいろんな意味で使うので、と、思考か。
深い思索なんて無理目な私は、動物的に反応する以外の方法を手に入れることができるのであろうか。
それを思うとちょっと寂しいが、ま、創造力の幅を広げることが楽しいので、もしかしたらまずいことかもしれないけど、本を読み続けるのは止められそうにない。
[追記]
ベントさんの日記はさらにさかのぼると、この文脈では使われていないな、ので、引用違い、かな。